走り巫女記

走り巫女記

独身アラサーが好き勝手書いてる。ビギナーライダー。生まれ変わったらみちょぱになる。



「侍タイムスリッパー」を観てきた。

幕末の会津藩士が現代にタイムスリップし、
時代劇の「斬られ役」として生きていくコメディ映画。

"低予算の自主製作とは思えない完成度の高さ"とのウワサ通り、非常におもしろかったです。

今はサブスクで、毎日のように映画やらドラマ見てるけど、ときどき劇場で映画を見るのも非日常感があって良い。

そういえば先日もアマプラで「仁」を見たけど、
こちらは逆に、現代から幕末にタイムスリップするお話なんだよね。

脚本が秀逸なのはもちろん、なんといってもたかお様。かっこよすぎて見続けるの疲れた。

南方先生も、王騎将軍も、海江田艦長も、
年齢を重ねて渋みを増してきた感じがますます色っぽい。

話が脱線しましたけど、時代劇もたまに見ると良いものですね。
それにしても侍の生き様は、どうしてこうも美しく見えてしまうのか。

映画館を出てもなお「サムライ脳」になっていたので、
以前から気になっていた、町田にある泰巖歴史美術館へ、妹を誘って興味はまるでなさそうでしたが一緒に行きました。



入場料を支払って会場へ入ると、
ここの名物である、実寸大の安土城天守閣のレプリカがお出迎え。

ここだけは撮影可だったので、抜剣のポーズして撮ってもらった。(弱そう)


この建物の2階部分を吹き抜いて設置されています。


建物の5階まである各フロアには
刀剣やら甲冑やら火縄銃やらの武具、
古文書やら屏風やら茶道具など文化物、
戦国時代にかかわる史料がびっしり展示されていました。

ちなみに館名の「泰巖」は、信長の戒名の一部から。
然自若として威ある、という意味だそうです。

特別、信長推しってわけもないんだけど、
やっぱり武将っていいよね、かっこいいよね!

「わたしも前世では、馬乗りこなして、刀ぶんまわして、戦場で無双していたかもしれないな~~~!!」


と妹に共感を求めてみたところ、


「どうせ前線で最初に死ぬ歩兵(モブ)でしょ」


と言われました。


そんなわけで俄然、自分の先祖が気になってきた。

そういうわけで、
昔同居していた亡祖父の本籍のある役所へ、
限界まで父方の直系尊属を遡ってほしい」と
適当な額の小為替と返信用レターパックを郵送して申請。

ダメ元だったのでたいした期待はしていなかったのだけど、翌日にはポストにレターパックが!


役所の仕事の速さと封筒の厚みに驚いた。


開けてみてさらに仰天。

なんと

「ひいひいひいひいじいさん※」
(私ー父ー祖父ー曾祖父ー高祖父ー高祖父の父ー高祖父の祖父※)

までの名前が記された戸籍のコピーが封入されていた。





わくわくして読み進めていく。
旧漢字が多用されている手書き文字は、非常に読みづらいが、なんとか読み解くと、
そこにはたしかにわたしの先祖の生きた証があった。

そのなかでも最も古い誕生日記録によると、
高祖父の父が天保12年、その妻は天保9年生まれと記載されていた。

ググってみれば天保9年は西暦1838年。

黒船が来航したのが1853年だから・・・・
この方は幕末の日本を目の当たりにしているってことだよね。


すッげえええええええええええええええええ!!!


さらに紐解いていくと、
高祖父の父母に実の子供がいたのかは不明だけど、とある女性と養子縁組をしていることがわかった。

定かではないが、高祖父の姪にあたる方が名字を継いだのかと推測。
こうまでして江戸時代からこの名字が受け継がれているのか、感慨無量である。


早速「家系図アプリ」なるものをインストールし、
手に入れた戸籍で判明したすべての名前を書き足していく。

先祖がわかったので、現在の横のつながりやその子供も、わかる範囲でどんどん追加していく。




父方の直系が広がると、当然母方も気になってくる。

早速、隣市に住む御年90歳超の母方の祖父母に聞き取り調査へ。

記憶の範囲はもちろん限られているが、
10人単位の兄弟と両親、付き合いのあった親族の名前が追加され、大樹の枝はどんどん伸びていった。

これ以上はもう記憶にないというが、
日本橋生まれの祖母によれば
「戦災で焼失していなければ戸籍は区に残っているはず」だと知れたので、早速 区役所に頼んでみよう。


そして広がる大樹の梢は、わたしを末端にして枯れていく・・・(のかもしれない)

このことに関しては何も憂いていないし、
先祖に対して申し訳ないだの微塵も思っていない。
とりあえず本家はいまも続いているので、そちらで頑張っていただきたい。




秋冬になると死にたくなる病に、今年もしっかり罹患している。

生きている意味なんてないし、自分は別に何者でもない。
このことはずっと昔に悟ったはずなんだけど、
自分の先祖を知ることで、ほんの少しだけ、心が豊かになる材料のひとつになればいいなと思っただけだ。



人は、二度死ぬという。

一度目は、肉体的な死。

二度目は、忘却による死。


誰が言ったか知らないけど、わたしはこの言葉を気に入っている。

何度も言っていることなんだけど、墓も仏壇も、わたしにとってはそれは単なるモノでしかない。
心の中で生きている以上、いつでも会えるんだから。

昨年亡くなった父にも、小さい頃遊んでくれた亡祖父母にも、私と同じように、心の中でずっと生きている人がいたはず。

それが、手に入れた戸籍の面々であるなら、
彼らの存在を知れたことに、ちょっとだけ繋がりがもててうれしい。


まあ、死んだら早いとこすべて忘れてほしいと願う私の思想からすると、矛盾もいいところですが。



長々と書いてしまいましたが要約すると、
憂鬱な気分から目を背けるために気まぐれではじめたルーツ探しが思いの外おもしろかったってこと。
遡れる限界まで、しばらく続けてみたいな。


そして、
この行為の結末の一般的で無難な"解"はきっと、
「遺伝子を残す努力をすること」なのかもしれない。


いくら先祖に思いを馳せたところで、
「自分の遺伝子を残したい」という生物の本能が覚めることは‥‥‥


いまのところなさそうなんだけど。