こんばんは^ ^

週末マイストーリーにお付き合いいただき、ありがとうございます♡

先週は、暗黒の?中学生時代までお伝えしました。

幼稚園から大学まである私立学校に中学から通い始め、高校へ進学。

高校からたくさんの受験組みが入学して、一気に中学の倍の人数となり、ひと学年10クラスというマンモス校になりました。

友達作りがうまく出来なかった私…💦
高校は3年間クラス替えなし、担任の先生も変わらない…
どうしよう、どうしようと不安な初日を迎えました😥



でも蓋を開けると、男女問わずざっくばらんに話しかけてきてくれるクラスメート✨
中学の何となく堅苦しい雰囲気とは変わり、担任の先生にも恵まれ、毎日学校に行くのが楽しくなりました(涙)

でもまだシャイで自分の気持ちを言うことができない消極的な子でしたが、あることをキッカケに私自身に変化が訪れました。

それは、2年生の時に部活のキャプテンとなったのです❗️



弱小チームのバドミントン部でしたが、体を動かすことが大好きだったので、真面目に部活に励んでいたのですが…
まさか自分がキャプテンになるとは!

このことがキッカケになって、人の前で話すこと、自分の意見を言うこと、人に向き合うことなどを学びました。

私にとっては自分が変わる大きな大きな出来事でした☆

この3年間のクラスメート、そして部活の同志、先輩、後輩には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、付属だったので大学か短大を選べ(もちろん基準の成績を満たさないと行けませんが)、ほとんどが大学に行く中、私は早く自分でお金を稼ぎたくて短大へと進学します。

お勉強より早く社会に出たかったのです!

ずーっと男女共学で来た私は、最初女子だけのクラスの雰囲気に圧倒されました 笑

これが女子校っていうのねーと楽しく観察^ ^
当たり前だけど、どこを見ても女子だけ。
先生だけ男性。
お化粧バッチリの子、勉強熱心な子、活発な子、おとなしい子、様々な個性のある中で偶然自宅が近い子と話す機会があり、それからは意気投合♡

家が近いだけでなく、心から素の自分でいられる気の合う友達との出逢いがあったのです❣️
もちろん彼女とは、今でも1番の親友です✨

テニスのサークル🎾にも入り、勉強にバイトにサークルに楽しい毎日でした。



ですが、時間に凄く厳しい両親💦
友達の家に泊まることや、サークルの後の飲み会で遅くなることが、なかなか許されない家庭でした^^;

そして、短大1年が終わる頃、私は海外に憧れ(英語は全くと言ってほど話せませんでしたが💦)、どうにかなるさ〜という肝っ玉だけはあったので、一度は留学したかったのです。

ところが、親からNG!絶対反対!
留学するほどのお金も全部は持っていなかったので断念😭

普段は私の好きなようにさせてくれた両親ですが、とにかく心配のあまり?目の届く範囲に居させたかったようでした。

私はだんだん窮屈に感じ、いつの間にか家から出るための口実を探していました。

そして、短大を卒業したら地方の寮のある会社にでも勤めたいと思うように…

ところがまたもや両親は大反対❗️
家から通える範囲の会社に就職するよう言われ…💦

今思うと、キャプテンになって自分の意見を言えるようになったとはいえ、親には全く通用せず聞く耳も持ってくれないので、その時は諦めるしかなかったように思います(涙)

最終的には親を説得できず、自分で親に従うという人生を選んでしまったわけです…



そして、私は都内の某電機メーカーに就職し、20歳でサラリー女子時代に突入します


続きは次回に…


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