こんにちは^ ^
今日は朝から晴れて清々しい日☀️です
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さて、生まれてから10歳まではとにかく体の弱かった私
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とうとう10歳で初の手術と入院を経験することとなりました
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大きな総合病院の耳鼻咽喉科のフロアー
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大部屋で大人から私より小さい子供まで4.5人だったと思います
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前回もお伝えしたように、子供らしくない私だったので、一人で病院に入院するということに対して、全くと言ってもいいほど不安な気持ちはなかったです
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今思えば両親の方は心配でたまらなかったはず^^;
なんせ、子供だからという理由で全身麻酔でしたから💦
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それでも手術前の検査もあるため2日前から入院していたのですが、さすがに手術前日はなかなか眠れなかったです
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当日はTVドラマのような手術室に運ばれて、3つ数えてねーと言われて1、2…までしか記憶がありません 笑
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その後、手術が終わって両親がベッドの所に来て話しかけたようですが、(返事をしていたようですが)全く覚えていません
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気がついたら翌朝
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まだ麻酔が残っていてボーッとベッドに座っていたところ、母がお見舞いに来てくれたのですが大笑いされました
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入院着というのでしょうか…よく温泉旅館にある浴衣のようなもの
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お腹のヒモだけちゃんとしていて、上も下もはだけて丸見え状態((((;゚Д゚)))))))
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10歳だからまぁ笑い話になりますが😅
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手術は無事成功し、喉の手術だったので飲食以外の体はピンピン元気😊
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ところが!私には弱点?がありまして💦
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お粥が食べられなかったのです(ノ_<)
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喉の手術なので、1日目は水分から…
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水、味噌汁の汁のみ、おもゆ→1番量が多い
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普通、お腹を壊したり高熱が出て食べられなくなったらお粥を食べたりしますよね?
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そのもっと前の赤ちゃんの頃、離乳食って食べていますよね?
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私は赤ちゃんの頃から離乳食を受け付けなくて、すっ飛ばしていきなり白米だったんです
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ちなみにオジヤや雑炊などを食べられるようになったのも、20代後半からでした^^;
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なので、おもゆも飲めず
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だんだん三分粥、五分粥と出されていくのですが全く食べられず😭
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3日くらいして見かねた母がこっそりリンゴ🍎の擦ったものを持って来てくれたのです😆
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看護師さんが来ないかドキドキしながら食べたのは今でも忘れられません
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しかし!その後のに喉の激痛が❗️
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まだまだ傷口が塞がっていないのねと悟り、親子で反省し、それからはひたすら白米になるまで、味噌スープと水で耐えました
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そしてその2日後くらいから通常食(ご飯軟らかめ)になり、元気も出て産科の新生児を窓越しで見るのが日課となりました^ ^
可愛かった〜😍
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そして手術してから10日後、元気に退院しました✨
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それからと言うものの、私は二度と高熱を出すことはなくなり、学校もほとんど休まなくなりました
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このような経験から、元気になってからというものの、私の病院や薬嫌いの始まりとなりました
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そして、中学は地元の公立中学に行くとばかり思っていたのですが…
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父が良い私立校があるから受けてみないかと言ってきたのです
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受験⁇
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今では私立中学に受験するのは珍しくないですが、その当時クラスで2.3人だったと思います
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しかも誰もが認める秀才の子
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そんな秀才でもなく、スポーツ万能でもなく、特技があるわけでもなく、目立つわけでもなく、フツーの子だった私
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一人っ子の私に対して、良かれと思って親はレールを引いてくれたんでしょう
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幼稚園から大学まである私立学校だったので、一度受験してしまえば、あとは楽だったのです
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今思えば、ここから私は親のレールに乗ることになります
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そして、レールから外れたいと思っても、結局はレールに乗ったままを選択してきたのも自分だったとわかったのは、本当に随分後のことになります
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どうせ受からないだろう、そうしたら友達と同じ中学に行ける!と思うのと同時に、受けるからには受かりたいな!という思いと交差する日々でした
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受験そして中学へ…は、また次回に^ ^





