ごんちゃんは、2年前の12月、「みらい」のメンバーが抑留所から引き取って、今までずっと可愛がっていたワンコです。
はじめは譲渡会に連れて来て里親さんを募集していたのですが、高齢で様々な疾患があることもあり、最後はメンバーが自分の家の子としてお世話をしてくれました。
(初めて譲渡会に来た時のごんちゃん。2013.1.20)

目が見えないため、止めてあげないと同じ所をいつまでもぐるぐると歩き回っている状態でした。
先日の「活動写真展」ではごんちゃんの写真も展示して、飼い主であるメンバーにもコメントを寄せてもらいました。
以下にその文章を載せて紹介させていただきます。
ごんちゃん
当時、抑留所には2匹の犬がいたが、先に入った子は亡くなってしまい、後に残ったのがごんちゃんだった。
底冷えのするコンクリート、その中でごんちゃんは眠っていた。
街は年の瀬で賑わっていたが、そこだけが時間が止まったように暗く冷たかった。
ごんちゃんは両目が見えず、内臓も色々に患っていた。
でも元気に散歩するようになった。
「あの時、先に亡くなってしまった子の分も幸せに生きて欲しい」
今は老年性のてんかん様の発作で歩けなくなり、大好きなごはんも流動食になってしまったが、力強く心臓を動かしている。
人も動物も皆、老いていき、自分の意志とは関係なく体の不自由さに耐え、そして亡くなっていく・・・。
これが世の真実。これを取り上げる権利は誰にもない。
ごんちゃんに出会えてこんなことを考えるようになった。
最後に、ごんちゃんを抑留所で処分を延ばしながら面倒をみてくれていた所員の方々、動物病院の先生方、ごんちゃんを支えてくださっているたくさんの方々に心から感謝いたします。
そして、私の家族「いつもありがとう!」
(パチンコ富士さんの譲渡会にて。2013.6.23)

もともと心臓や胆のうに疾患があり、緑内障で目も見えず、そんな中いきなり抑留所に入れられ、知らないおウチに引き取られ、はじめはごんちゃんにとって訳の分からない環境の変化だったと思います。
ですが、引き取ったメンバーの愛情深いお世話があったからこそ、最後に倒れて身動きとれなくなってからも、そばにいて声をかけてあげるだけで安心した様子を見せてくれていたんだと思います。
(ビック函館さんでの譲渡会にて。2014.5.18)

このメンバーは、フルタイムの仕事があるにも関わらず、ごんちゃんが倒れてからは毎日のように動物病院に連れていき、睡眠時間を削って夜中まで付き添って看病してくれました。
それでも今日、ペット霊園で荼毘に付す際に、「もっとやってあげることがあったのでは」と自問していました。
私から見れば、2年前の暮れに寒い抑留所で処分されていたかもしれない子が、暖かい家庭で余生を送り、ここまで愛されながら見送ってもらえたことは本当に幸運だったと思います。
(倒れてから毎日通院していた頃のごんちゃん。2014.11.17)

最後は寝たきりになって不自由でつらかったと思いますが、よく頑張って生きてくれました。
今考えてみると、飼い主さんにお別れの覚悟をさせてくれる時間をくれたのかもしれません。
そこに息をして生きていてくれるだけでありがたい存在でした。
ごんちゃん、どうもありがとう。
自由になった体で、思いっきりむこうで遊んでね。
