俺は2013年8月28日にアメリカへと飛び立った、、、


今日初めてブログを書くのだが、この出来事は自分の人生において大きな分岐点となったので書きたい。

父親が航空関係の仕事に就いているのもあってうちの家族は所謂転勤族であった。幼稚園までは横浜で過ごし、小1の春に北海道へと引っ越した。北海道での生活は最高だった。とんでもない絵の才能を持った親友がいて、他にも仲の良い友達と毎日家の近くの公園で遊んでいた。俺自身が早熟型(後に知って絶望する。この話はまたいつか書こうと思っている)だったのでスポーツはもちろん、勉強もすごく得意で小2の頃には小5が習う内容を公文で先取りしていた。小学校低学年では足が早ければ誰でも人気者になれるので、足の速さでは学年の中でtop3に入る自分も友達が多かった。

これだけ小学校低学年の武勇伝ぐらいしか話すことのできない自分が情けない。まとめると、勉強、スポーツ、そして人脈もあの頃は最強だったのだ。そんな楽しかった生活にふと変化が起こる。

その日は母の誕生日で外食していたのだが、デザートも食べ終わって帰ろうとしていた時にふと、父からニューヨークに引っ越すことになったことを伝えられた。そこには妹もいたのだが、彼女は年中であまり理解していないような感じであった。両親はすでにその話を知っていたのでただ俺一人が衝撃と共に不安に駆り立てられ、この生活を失う恐怖に怯えていたのであった。

その話を知ったのが5月の下旬で、タイトルにある通り俺は八月の下旬に渡米するので三ヶ月ほど猶予があったわけだ。その限られた時間を俺は友達と遊ぶことに徹底した。俺のお別れ会の時もクラスの8割ぐらいが泣いていた。自分はまさか泣いてくれる人がいると思わなかったので、驚きもあり、涙が出なかった。クラスのみんなが俺の為に歌っていた時であったが、その申し訳なさから自分が泣いたフリをしていたのを今でも覚えている。

そして日本を飛び立つ日が来た。祖父母も見送りに来てくれたのでいっそう悲しかった。荷物のチェックがあるゲートのところでお別れになるのだが、そこに入った後でもギリギリ人混みの中から祖父母たちを見つけることができ、手を振ってる様子も見えた。その時、祖父母がピンクのハンカチを取り出し少し垂れた涙を拭いていたのが見えた。その姿に僕は大号泣しながら母、妹と共に飛行機へ乗った。(父はもう向こうに住んでいた)


今改めて自分が描いた文を見返してみる。『小学校の時の自慢と泣いた話しか書いてないやん。めっちゃきもいな』と思いつつまた書き始める。


アメリカに着いた日も衝撃的だった。空港の外に出たら看板も全部英語で改めて日常生活が一変したことを実感する。到着した日にちょうど父の勤める会社の日本人の家族たち40人ぐらいででBBQパーティーをしていた。そこにいた同年代の子はハーフの女の子とその弟のみ。芝生の上でパーティーがあったのでその子たちが側転ばっかしていたのを覚えている。ハーフだが多分ずっとアメリカに住んでいるような子だったので日本語が喋れなくあまり仲良くなれなかった記憶がある。もうその子たちと会うことは無かった。

それが終わった後初めてアメリカの家に入ってみる。3回建てでものすごくデカかった。前住んでいた北海道の家もかなりデカかったのだが、それよりも1.5倍ぐらいの大きさにビビる。前住んでいた人は土足で暮らしていたらしくそんなに綺麗ではなかった。また、人生で初めて時差ボケというのを体験しその日は夕方にぐっすりと眠りいについた。

起きると深夜の4時ぐらいであった。うーん早い。アメリカは9月入学なので新学期が3日後に始まる。僕の地獄の始まりである学校生活は長くなってしまったので次回話そうと思う。


こんな幼稚で拙い文章をここまで読んでくださりありがとう。ブログを書くのが初めてなので許して欲しい。