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 大阪水の都 とても川の多い町です。
この北区の中之島あたりは、中央公会堂、図書館などの歴史的な近代建築も多く、
また百万本のバラを植えるボランティア活動も活発で、岸辺の歩道は季節の花でいっぱいです。
 
■寄贈者 岩本 栄之助 氏 
   (明治10年~大正5年 1877年~1916年) 
     
    辞世の句 「 この秋をまたでちりゆく紅葉哉 」  39歳没
 
   両替商を営んでいた栄之助氏は、日露戦争(明治37年~38年 1904年~1905年)後の暴騰相場で窮地に陥った大阪の仲買人から懇願されて株式に参入し大逆転を収めた。  「北浜の恩人」と称されている。
 
 この公会堂を寄附する動機は、明治42年秋 渡米実業団(渋沢栄一団長・財界人50名) の一員としてニューヨークのカーネギーホール等を見学したことが影響を与えたらしい。
 
 その際、アメリカの大富豪が公共事業に財産を投じて公衆の便益を謀り、又は慈善事業に 遺産を分譲する実況を見て大いに感動したと「寄附事件記録簿」に記している。
 
 明治44年3月 大阪市に百万円の寄付(現在の貨幣価値で約100億円)を建設資金と して提供することを公表した。 
 そうして公会堂は、大正2年6月に着工し、大正7年11月に落成した。
 
 しかし栄之助氏は、第一次世界大戦(大正四年、1914年)が勃発した後の、狂乱相場で 多額の損失を抱えたらしく、公会堂の完成を目にすることなく、39歳の若さで自決の道を 潔く選んだ。
 
 公共の利益のため巨額の富を寄附した人物が、なぜこのような悲惨な末路をたどるのか、 志半ばで命を絶たれた栄之助氏のご冥福を祈らずにはいられない。
 
 大阪の若者何人かに、このエピソードを話したことがありますが、「公会堂は知っているが、 エピソードを聞くのは初めて!」と、その表情には驚きと輝きの眼(まなこ)がありました。 
(追伸) 
  この栄之助氏のエピソードは、実は、私もあまりいきさつを知らずに公会堂の写真を撮影していたのですが、撮影から一か月程して、大阪天神橋商店街で偶然、、店先の路上に一冊の色い分厚い本一冊落ちているのが目に止まりました。
手に取ってパラパラとページを開iいたとたん”岩本栄之助と中央公会堂「北浜の恩人」遺産は今も”という文字が目に飛び込んできました。
 
 この本には、公共図書館のラベルが貼ってあり、尋ね歩いた図書館まで届ける途中、夢中で読みふけった。
  このような偶然・・・なにか天界の栄之助氏が私にメッセージを送られてきたような気が今も してなりません。今度、中央公会堂を訪れる時は、そのどっしりとした姿をゆっくり眺めたいと思っています。 
 もっともっと素晴らしい日本をつくりたかったろうに・・・ 合掌 京りんたろう


 ◆「岩本栄之助氏プロフィール」ウィキペディアフリー百科事典

 ◆「大阪市中央公会堂」公式HP

 ◆岩本栄之助氏の格言集
・理知に動かず、意気を貴び、小さな利害を目的とせず、潔く戦う。

・人間はな、三十すぎたらなんでもええから、後に残ることせなあかんで。

(覚書き|而立、じりつ=論語の一節。子曰く、吾十有五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず・・・の三十の部分。独立するという意味)


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