陛下の舞台があったので、3日ほど下北沢に通った。

マチネ(昼の部)とソワレ(夜の部)の間に時間があったので、久しぶりにナンパなんぞを。笑。

ものすごく可愛いだけでなく、なんか雰囲気のある子がいた。見ていたら目があったので話しかけた。
「ども。もしかして、女優さんですか?」
「あ、はい。女優もしています。」
「やっぱり。オーラが出てますよね、タレントオーラが。」
その子は、嬉しそうに笑った。

私より背の高い女の子がいた。
「背、高いですねぇ。何センチですか?」
何の脈絡もなく話しかけた。
「?。182です。」
「それはすごい!私は180なんですが、私、女の子見上げながら話したの初めてですよ!」
少し大げさに言ったら、彼女は笑い出した。
「やっぱりモデルさんですか?」
「はい、モデルをしています。」

う~ん。この街のクオリティの高さ。世のナンパ師さん達、ナンパするなら渋谷じゃなくて、下北沢じゃない?笑。

(今回、陛下にいろいろバレてしまったから、もう良いや。カミングアウト、ってやつ?笑。)

三国志で有名な魏国の国史である『魏志』に記載がある『倭人伝』。

卑弥呼の邪馬台国論争の元になった原典だ。

それには、朝鮮半島から海を渡って千余里で対馬に着く、とある。

千余里……。中国の1里は500mだから、約500km。半島の南端から500km進んだら、対馬どころか鹿児島辺りまで行ってしまう。

そこから邪馬台国へは、さらに○○へ千里、××へ○百里、とたくさん続く。

そんなに進んだら、邪馬台国は沖縄どころか、台湾かフィリピン辺り?

邪馬台国論争は、邪馬台国は畿内にあったのか?九州にあったのか?が、最大の論点だけど、これじゃ分かる訳ないよ。

と、高校時代『魏志倭人伝』を読んだ時に思ったのだけど、その謎が偶然解けた。

先日読んだ本に、「『魏晋朝短里』は75m程度。」とあった。

なるほど。それなら、対馬は半島南端から約75km。そんなに間違ってはいない。

待てよ。すると呂布の赤兎馬は、一日千里を走る名馬とされたが、その千里は75km?

馬が一日どれくらい走れるのか知らないが、75kmならそんなに大したことないような。

いや、待てよ。『一日千里を走る。』とあるのは、『三国志演義』か。

すると1里500mで、一日500km……。。いくらなんでも、そんなに走れるはずがない。

『千里』はやっぱり、『長い距離』くらいの意味か……。

今年になってまだ陛下に一度しか拝謁していない。

舞台とワロップ放送局が重なった時などは、ほぼ毎日ご尊顔を仰いでいたことを思うと、これは驚くべきこと。

福島だぁ、大阪だぁ、名古屋だぁ、と追っかけてた時が昔日の感さえする。

さて、来月いよいよ陛下の舞台があるそうな。

またあわただしくも、楽しい日々が始まる。

陛下の舞台の観劇の折は、毎回毎回バラの花束を持って馳せ参じるのだけれど、

(これは私の『ヲタク道』の師、梅ケンさんを見習ったものだ。)

いつも中野の同じ花屋さんで調達する。

陛下の舞台がある時期に、珍しいバラが入荷したりすると、知らせてくれたりする親切な花屋さんだ。

花屋さんの勧めで、ピンクと黄色のマーブル柄のバラを献上した時は、陛下に大層喜ばれたものだ。

その花屋さんのお母さんに、「うちの経営のためにも、奈津子さんと亜希子さんに頑張ってもらわないとね。」と冗談を言われたことがある。

久しく行っていないが、まさかその花屋さん、陛下の舞台がしばらくなかったせいで、つぶれてたりしないだろうな?笑。