仕事の時は 西 凜太朗 という名前を使っている。
凜という字を凛と間違えられたり(示ではなく禾なんですね)朗を郎と間違われる事も多い。
何かのサイトで、凛太朗から凜太朗へ改名したというのが載ってたけど、そんなことはなく最初から凜太朗のまんま。
昔所属してた劇団の演出家がつけてくれた。初めてこの名前をその演出家から聞いた時、正直、あの・・先生、もう少し何とかならないっすか?と思ったものだが、その人がどういうつもりで考えたとか、名前の意味を聞くと、ああ、こんなことまで考えてくれてたのかと、名前そのものより付けてくれたその演出家の気持ちがうれしく、大変気に入って使わせていただいている。
昨年11月に息子が生まれた。
名前をつけるにあたり相当な労力を要した。彼が一生涯付き合っていくものであり、オレが、この子にしてやれる最初の大事な仕事だ。後悔しないようできるだけの事をやってあげなければ。
と、まぁ、ここらで1発感動的な文章を書きたいところだが、命名にあたっての名文は巷に溢れているので今さらオレごときが書くようなコトでもあるまいよ。
先日、実家に行った。
子供の名前をつけるにあたっての苦労話とかして。
そして両親を目の前にして、なんだか昔っからあやふやになってる事、気になってたことを聞いてみることにした。
俺の名前についてのこと。
オレの本名は和晃という。なんでも昔、昔は大和(やまと)という名前だったらしいんだけど、大和は撃沈されたから、とか何とかいうことで結局、和晃になったらしい。
オレが持参した寿司と王将の餃子を次から次へと口に運ぶ親父とオカンに尋ねた。
ちなみに親はまだボケていない。
「なぁ」
「なんや」
「オレの名前ってどういう意味なん?和はなんとなくわかるけど晃ってどういう意味なん?」
箸をとめる親父。少し間をおいて重々しく口をひらいた。
「・・・わからん。」
オレは笑った。そして、
「じゃあ名前は誰が付けてくれたん?」
と聞いてみた。親父はあいかわらず箸をとめず寿司を頬張っているオカンに目を向け、
「・・誰や?」
爆笑した。ようやく箸をとめたオカンの一言。
「知らんで」
腹がねじれる程笑った。もう一度言うが、親はまだボケていない。
オカンは餃子をつまみながら、「昔はなー、いちいちそんな、子供の名前の事なんか考えてへんねやー、クマとかトラとかいう名前がいっぱいおったんやー」と言い放った。(あほー、んなことあるかい、そこまで昔ちゃうやんけ)
そういえば、オレが二十歳位の頃、姓名判断とかに行ってきた親父が、オレの名前に数字や難しい漢字を書いた紙を見せ、和晃の”晃”を”明”に今日から変えろという。そして怒鳴りながら言った。
「お前に1本線が足らんのは字画のせいじゃっ!!」
(何で怒んねん、そら名前をつけた親父のせいやんけ)と思うも、当時の親父はえげつないほど恐ろしく、オレが親父に反旗を翻した時に備え、木刀をいつも傍に置き、いつでもオレをシバこうという気概に満ち溢れていたので何も言えなかった。
その日から数年間、”明”という字を使ったが、別にこの字を使っても線が1本足されたわけでもなかったので、昔から馴染みのある”晃”に勝手に戻した。
親父はその話を興味深く聞いていた。そして
「そんなことがあったんかー・・・」
と、つぶやいた。「お父さん、憶えてへんの?お父さんが名前変えろっていうてんで」というと、親父はニヤリと笑って言った。
「知らん」
もう一度言うが、ボケていない。
そして親父は再び口を開いた。
「和晃と和明、お前ホンマはどっちやねん?」
死ぬ。笑い過ぎて死にかけた。
オカンは何がおもろいねんって顔で「昔はなー、子供に興味なんか、なかったんやー」と言った。ちなみに姉の名前も誰が付けたか、どういう意味かも一切わからないらしい。
オカンが、姉の事を「なんであんな名前にしたんかなー」と独り言を言ったのが聴こえた。