ある有識者と話していて、この令和2年度第3次補正に入った「新市場開拓に向けた水田リノベーション事業」は「(WTO協定で禁じられている)輸出補助金ではないか?」とのご指摘がありました。同事業は「新市場開拓用米」の生産に対して、通常のコメの生産よりも手厚い補助を付けるというものです(10アール当たり4万円)。

 結論から言うと「ほぼアウト」です。

 「国際貿易」という学問を学ぶと、かなり最初の方に「最も貿易歪曲性の高い政策」として輸出補助金が出て来ます。輸出そのものに対して補助をするわけですから、交易条件を直接ねじ曲げます。1980年代、農業補助金をジャブジャブ出し過ぎて農産品が余ったECは余剰農作物を輸出するために輸出補助金を付けました。これが世界全体の農作物市場を著しくねじ曲げたという事で、現行のWTO農業協定では大幅削減する事が決まりました。今、(瀕死状態の)WTOドーハラウンドでは「禁止」に踏み込もうとしたのですが、結局成立していません。そして、日本は元々輸出補助金を出していなかったので、ゼロで規律が掛かっており、新規の輸出補助金はやれません。

(ちょっと話が逸れますが、1993-94年の農業協定交渉の終盤、フランスは一旦、米・ECの間で纏まった輸出補助金大幅削減のルールをひっくり返しました。ひっくり返したのは当時の首相エドゥアール・バラデュール。削減の程度を緩めました。輸出補助金で恩恵を被っていた農家から称賛の声が上がりました。「お国のヒーロー」という感じでしたね。)

 この事業においては「新市場開拓用米」という秀逸な表現を使っていますが、事実上、これは輸出向けです。来年度はコロナ禍でコメの需要が数十万トン減ると言われている中、国内には「開拓」すべき「新市場」は無いでしょう。そして、この事業を紹介する地方自治体の資料を見ていると「新市場開拓用米(輸出用米)」と書いてある所が多いです。政府レベルでそう書くと露骨にアウトなので「新市場開拓用」としていますが、名称の如何に関わらず、日本は新規の輸出補助金は出せません。

【WTO農業協定第九条 輸出補助金に関する約束】
次の(a)から(f)までの類型に該当する輸出補助金は、この協定に基づく削減に関する約束の対象となる。
(a) 政府又はその機関が、企業、産業、農産品の生産者、協同組合その他の農産品の生産者の団体又は販売に従事する機関に対し、輸出が行われることに基づいて直接補助金(現物による支払を含む。)を交付すること。
(略)
(d) 輸出農産品についての市場活動のための費用(取扱い及び品質向上その他の加工のための費用並びに国際運送に係る費用を含むものとし、輸出促進及び助言に関する広く利用可能な役務に係る費用を除く。)を軽減するために補助金を交付すること。
(略)

 今回の「新市場開拓に向けた水田リノベーション事業」は、かなりの可能性で上記の規定に引っ掛かりそうです。何処ぞやの国から、WTOの紛争解決処理に「(新規輸出補助金が禁じられている)日本が輸出補助金を出している」と訴えられたら負け筋です。

 そもそもですが、この事業によって農家がコメを海外に大々的に安く投げ売ったら大変な事になりそうです。逆にそこまで輸出が伸びないのであれば、10アール当たり4万円という高水準の補助をしたのに、作ったコメを政府が抱え込む事になるかもしれません。今年度第三次補正で290億円が計上されているのですが、この微妙な予算規模が政府の思いを反映しているかもしれません。「あまり大々的にやると問題だし、かと言って、あまりに少ないと輸出促進にならない。」という事です。もっと言うと、補助水準が高いので「新市場開拓用米」への希望が殺到したらどうするんだろう?とも思います。

 何はともあれ、この事業、危なっかしいなと思います。もう予算は成立しているのですが、与党、野党での検討の中で誰か言わなかったのですかね。何時も言いますが、一昔前の自民党なら通商のプロだった議員から「これ、輸出補助金じゃないのか?」と指摘が必ず来そうなものです。昨年4月頃の「和牛商品券」、「お魚商品券」に似た、通商ルールのリテラシーの低さを感じます。