多分、10月初旬くらいから始まる臨時国会で補正予算が来るのではないかな、と思います(来ないかもしれませんが)。私が昔から「これって、おかしいんじゃないかな。」と問題意識を持っている事が幾つかあります。

 

 その一つは「(法定されているはずの)緊要性」が無いものが含まれていて、単に当初予算で盛り込めなかったものの復活折衝になっているだけ、というものがあります。これは民主党政権時代もやっていたので、別にどの政権が悪いとかいう事ではないのですが、当初予算の時点から、査定する側とされる側との間で「これは(当初予算では入れないけど)補正で。」みたいな握りをしたりするのです。結局、年度単位での決算を見てみると、予算(と借金)が膨れ上がる原因になっています。あと良くないのは、当初予算で盛り込まず、補正予算対応が増えていくと、例えば自衛隊や海上保安庁等の装備物の計画が立ちにくいという弊害もあります。

 

 補正予算を「リアルに緊要性のあるものだけ」とバシッと切ってしまうと、多分、日本の当初予算作成の時点から緊張感が全く異なると思います。ある大臣経験者は「補正予算を(災害等の緊急時を除いては)基本的にはやりません。」とするのが、一番の行革になると言っていました。極端な言い方ではありますが、私は慧眼だと思います。

 

 それはともかくとして、今日は「財源」の話です。この数年、国債の金利が低いせいで、毎年、当初予算で立てた(借金の返済に充てる)国債費に余りが出ています。つまり、当初予算の時点で予想する国債の金利よりも、実際の金利が低ければ返すお金が少なくて済むので余りが出る、というふうにイメージしてもらえればと思います。そして、これを「財源」として補正予算を編成するのが常態化しています。

 

 私はこの国債費の「余り」が「(補正予算の)財源」だという発想そのものがどうしても受け入れられませんでした。そもそも、経済状況がよくなったから生じたお金ではありません。むしろ、経済が思ったようにインフレ2%にならないので、必死になって金利を抑え込んで金融緩和を継続した結果として生じただけです。別に「アベノミクスの果実」ではありません。

 

 そして、ゼロ金利政策というのは、見方を変えれば、国民や金融機関に課税をして、それで国債の金利を支払っているというのとほぼ同義です。金利が上がってくれば、国民や金融機関に利子という形でお金が流れる一方、国債の利払いが増えてきます。そう考えると、ゼロ金利というのは、利子課税をした上で国債の利払いをしているのと大して変わりません。したがって、国民や金融機関に負担を付け替えた結果として生じたお金を「財源」だというのは筋違いではないかという事です。

 

 しかも、仮に国債の金利を正しく予想できる占い師が居たとして、その金利で当初予算を組んでいれば、「余り」は生じず、その分だけ国債を立てずに済んだはずです。したがって、その「余り」は「(補正予算の)財源」ではなく、一度すべて国債の償還に充てるべきものだと思います。一度、安倍総理にその指摘をしましたが、どうも通じませんでした。

 

 そうしないと、一旦、「余り」を「財源」だと言ってしまうと、全部使っちゃうのです。ここほれワンワンのように生まれてきた財源と勘違いしてしまって使ってしまうのですが、それは上記のような経緯からすると完全に筋違いだと思っています。

 

 筋論としては、そういう「余り」は一度、全額国債の償還に充てるという整理をする、そして、ゼロベースから再度、緊要性に応じて補正予算を編成する、そういうふうにすべきだと思います。ちょっとプロセスとしてはややこしいのですけども、きちんと整理せずに「あ、ここにお金があるじゃないか。」と安易に財源化する事は財政の健全性を損ないます。

 

 遠からず、補正予算の編成が何処かで来るでしょう。予算書なんて見る事は殆ど無いでしょうが、「財源」の所で国債費の余りが出てきたら要注意です。本来、そのまま「財源」にしてはいけないものです。