先の総選挙から2年が経ちました。今年は数えてみたら、質問回数31回。色々な事をやったなと思います。質問以外にも国会対策、政策調査会、党務、県連(代表)、たくさんの出来事がありました。

 

 そんな中、中間地点を折り返したので、いつ総選挙があってもいい状況になってきています。ただ、「いつあるか?」を思い悩んでも仕方ありません。私の原理原則は「自分で決められない事をあれこれ悩むのは意味がない。」というものです。発想が数学的でして、Y=aX+bとすると、自分で動かせるのはXのみです。そして、aとbは外生変数ですので、自分ではどうしようもありません。「解散がいつか」というのはこの外生変数に当たります。それを悩むことは時間の無駄です。正に「常在戦場」です。

 

 そして、選挙という事では、私がいつも御意見を伺う方がいます(特に世間的に有名な方ではありません。)。私はその方の話だけは必ず従うようにしています。

 

 一期目の時、いつも「おまえは地域回りが足らない。絶対に足をすくわれる。小沢一郎さんが言うように、おまえの仕事は二期目になる事だ。」と言われていました。当時の私は、まだ、その意味を十分に汲む事が出来ていませんでした。

 

 2012年12月に落選します。票は当選した時の半分、惜敗率は63%。誰が何処から見ても「惨敗」です。その時、その方を訪ねました。まず飛んできた一言は「おう、無職!」でした。容赦はありません、「だから言っただろ。おまえはバカだ。」と言葉が出て来ます。

 

 「それでどうするつもりだ?」、私からちょっと弱気に「党勢はこれから厳しいですよね。」と答えたらこっぴどく叱られました。「おまえは党勢が悪ければ活動しないのか。そんなヤツは党勢が良くなったら、その風に乗ろうとして活動しないんだよ。悪くても活動しない、良くなっても活動しない、つまりはそういう事じゃないか。だから、おまえはバカなんだ。」、まず、ここからスタートです。

 

 そして、言われたのは「基本的に東京(国会)には行くな。今の東京におまえの居場所なんかない。どうしても行かなきゃいけない時は、国会で活躍している小選挙区当選の同期とだけ会え。そこで『悔しい』と思って帰ってこい。地元では、周囲に何を言われてもコツコツと地域回りに徹しろ。それが嫌なら、このまま藻屑と消えるよ。そして、この北九州に『昔、昔、そんな国会議員が一期だけ居た。』というお話が残るだけだ。」でした。ムッとしましたが、たしかに正論です。そのまま従う事にしました。

 

 浪人生活の間は、時折報告に行っていました。毎回、こっぴどく叱られました。地域回りの実績を話すと「で、おまえのこれからの目標は?」と聞かれ、「まあ、このペースでやっていこうかと。」と答えました。そうしたところ「おまえは今の実績で満足しているのか。だから、ダメなんだ。おまえは学歴は高いが、とことんバカだ。」と言われ、そこまでの実績の倍の数字を言われ、「それを3か月続けたら、また来い。」と突き放されます。その繰り返しでした。

 

 2年前の2014年12月、比例で当選した後に伺ったら「よう、死に損ない。」からスタートします。「俺の言う通りにしてなかったら、おまえがテレテレやっていたら、今頃、おまえはここでベソかいてたはずだ。俺に感謝しろ。そして、おまえは小選挙区で負けて敗者復活した『死に損ない』なんだから、いい気になるな。」でした。

 

 今でも時折伺います。一度も誉めてはくれません。「テレビに映っているからといって調子に乗っていたら、また、無職に戻るぞ。」と尻を叩かれます。多分、このまま一生誉められる事はないと思います。

 

 だからこそ、そこに真実があると思っています。その真実を信じて、来年も歩んでいきたいと思います。