【以下はFBに書いたものをかなり加筆、修正したものです。】

 「シャルリー・エブド」襲撃に端を発した諸事件、本当に痛ましいことです。ああいう暴力に出ることは絶対に許してはならないと思います。

 先日のフランス国民議会でのマニュエル・ヴァルス首相の演説は感動的でした(雰囲気だけ感じてください。)。フランスの共和国としての価値観を明確に述べる姿に為政者としての矜持を見ました。

 その上で、あえて一言言いたいことがあります。非常に争いのあることです。誤解の無いように書きたいと思います。

 「シャルリー・エブド」の言論を本当に真正面から「言論の自由」と言っていいのかということです。イスラムという信仰を明らかに侮辱する内容が散見されます。預言者ムハンマドを性的に小馬鹿にする内容であったり、明らかにイスラムへの憎悪を煽る内容だったりします。

 かつて、外務省で中東担当だったのでよく分かるのですが、イスラムというのは我々が普通に捉える信仰よりも、より幅が広いです。コーランは日々の生活全体を規律するようなところがあります。そこを全否定するような言論をイスラム社会は受け入れないでしょうし、それは少なくともムスリムにとっては「言論の自由」とは全く違う世界であることは理解すべきです。

 例えば、コーランを破いたり、燃やしたりする行為は、日本では単なる器物破損を超えないでしょう。原材料は紙とインクでしかないので、器物破損の度合いとしても軽いです。欧米でも同じでしょう。それはムスリムにとっては、何よりも許せない行為です。コーランに書かれていることそのものが最も貴いとされる以上、それは命と同等、いやそれ以上に重要だと捉えられます。

 恐らくこの辺りが「文明の衝突」でして、欧米的言論の自由が普遍的価値ではない可能性について考えなくてはならないということです。世界がグローバル化する中、イスラムにおける言論の自由の限界は我々が考えるようなものとは違うことへの議論はあって然るべきです。

 勿論、「シャルリー・エブド」的な言論を法的に取り締まれというつもりもありません。それ以前の問題として、そういう相手の内心の一番深い所にあるもの(しかも、それは我々が考えるよりも深い)への慎みが「相互理解」の基本だと思うのです。簡単に言うと「止めておきなさい、そんなことは。」ということです。

 私は暴力行為を絶対に許しません。テロリストに対する強い姿勢を貫いていきます。その上で、心の奥深い所にある部分を冒涜するような言論には慎みを持ちたいということです。