「努力すれば事は叶う」、とても良い言葉ですし、そういう世の中でありたいと思います。ただ、この「努力」、私が見ている限り、時折とても危険な方向に走ることがあります。


 最近、この本 を書店で見つけました。典型的な「スーパー努力」の人であり、立派だと思います。ただ、私が思うに、こんな努力を出来る人自体がそうそういないのです。私みたいに注意力散漫な人間には、とても一日19時間も勉強することは無理です。


 必ずしも恵まれていない環境から、人並みならぬ努力で物事を成した方が陥りがちな罠があります。それは「他人にも同じことを求める」ということです。論理思考としては、①私はこれだけの努力をした、②そしてこれだけの事が実現できた、③私みたいな人間でも出来たのだから誰でも出来る、という感じです。更に悪くなってくると、④出来ないのは努力が足らないからだ、という所まで行く方もいます。


 よく例に挙げられるのは、ハンガリーの下級貴族出身でフランスに移民してきたサルコジ前フランス大統領です。伸し上がってきた強い自己意識から、社会的弱者に対する姿勢がとても厳しかったです。あと、客室乗務員から大企業社長まで上り詰め、「過労死は労働者の責任」といった発言をするこの方 も典型的ケースです。


 数学的に話すと、努力の量と達成の度合いの関係は、これらの方の頭の中には常に同じ曲線(直線)で描かれているはずです。多分、社会の超最前線でバリバリ活動できる方だけの世界であれば、それで良いのかもしれません。


 しかし、実際にはスタートラインが違ったり、努力による達成の度合いの比率が高い方もいれば、そうでない方もいます。そういう多様な世界の中で「努力すればいいんだよ」という言葉だけを言って、それに見合う(高い)成果を求めるというのは無理があるでしょう。そこに政治があり、社会保障があるのだと、特に今浪人しながら地域周りをする中で感じています。


 「努力」、貴いことです。ただ、それにも色々な態様があって、一律にそれを求めることはむしろ過酷な社会を招来する、と最近よく思います。


 雑なエントリーですが。