【以下はFBに書いたものを加筆して転記しています。】


 最近、英語教育の強化がよく取り沙汰されることとの関係で、外国語教育についてよく考えます。

 私は幸運なことにフランス語と英語を理解します。英語はちょっと苦手感がありまして、昔、英語の会談の記録を取ったらかなりいい加減だったみたいで、上司に「もうちょっときちんと聞き取れ」と怒られたことがあります。フランス語については、さすがにフランスとセネガルに4年も住んでいたので、日本人の中では結構出来る方に入っていると思います。

 しかし、私は英語は中学生から、フランス語に至っては外務省入省後の21歳から始めたわけでして、日本語で頭がガチガチに固まってしまった状態でスタートしています。
正直に告白すると、いずれの言語でも理解する時、話す時、必ず頭の中で日本語が介在します。どんなにペラペラ話しているように見えても、そこには「(無意識の)翻訳」という作業が入ります。なので、話すと日本語の3倍疲れます。


 したがって、聞き取りにくい音がありますし、なかなか自然に出て来ない表現があります。昔、ドラゴンボールのフランス語版を読んでいた時、「そうじゃないかと思ったよ」という部分で「J'aurais du m'en douter」と書いてあったのですが、どう頭を捻っても私から自然にこの表現は出てきません(フランス語を学んだ方なら分かっていただけるはずです。)。音についても、日本語は母音も、子音も数が少ないし、本来、日本語で発音していない音までをも文字表記では入れてしまうといういい加減さがあります。


 くだらない話をしますが、フランス在住中、私の同期がルパン三世のようなもみあげで現れたことがありました。「なんだ、それ?」と聞いたら、「理容店で『もみあげどうする』と聞かれたので、全部落としてほしいという意味で『entier(全体)』という表現を使ったら、『un tier(1/3)』と聞こえたみたいで、途中までしか落としてくれなかったからそのままにしている。」という返事が返ってきました(そのままにする、彼も彼ですけど・・・)。たしかに日本語で書くと、どちらも「アンティエ」です。


 もう一つ例を出すと、私の事務所からすぐの所にあるロボットで有名な安川電機ですが、表記は「Yaskawa」です。「Yasukawa」と書くと、とても「su」の「u」のところだけが強調されて変に聞こえます。同じく近くにある、耐火煉瓦の黒崎播磨も同じ理由で「krosaki」と書いています。実は日本人は「やすかわ」にしても、「くろさき」にしても、厳密な意味では「す」や「く」とは発音していません。単に子音の「s」、「k」を発音しているだけなのです。


 そんな中、私の外務省同期(上記の方とは違います)に「実はこの人は日本語を介在させずにフランス語
を話しているのではないか?」という方がいました。その方は、幼
稚園→小学校と「一切文字を使わずに(本人談)」フランス語を学
んだそうです。つまり、耳で聞いて口で話す、それだけです。何と言っても、私が感心したのは「音に対する感性が違う」ということでした。

 その方と私が同じようにフランス語を話していて、仮にそのレベル
が同等だとしても(多分同等ではなかったと思いますが)、私はい
つも「こりゃ勝てんわ」と感じていました。上手く言えないのですけど、耳や口の慣れの差、心理的な余裕の差と
でも言うんですかね。私は極めてメカニカルに、頭でどんどん聞いたものを処理して、日本語を無意識のうちの介在させながら、応対するための文章を日本語でちょっと考えてそれを訳して、そして尤もらしく発音する、というプロセスを経ますが、どう見ても、その方は全然違いました。

 ここからが悩むところです。だからこそ早くから英語教育に踏み出す
べきかどうかというテーマになります。早くやれば耳が慣れるでしょう。上手く行けば、その言語のまま考えることが出来るようになるかもしれません(全員が全員そうなれるわけではありませんが、少なくとも私には出来ない芸当です。)。


 その一方で、「何処まで行っても外国語は外国語。緒方さんのように学ぶしかない。まずは日本語できちんと考え、そして表現できる力を養うことが大切。どちらも中途半端になってしまっては元も子もない。」という考え方にも首肯するところがあります。


 地元でも「英語教育」についてよく聞かれます。いつも、両論お話するようにしています。自分の経験があるだけに、どうも悩ましいのです。