毎年、この時期になると高校柔道の金鷲旗大会のことを想起して、柔道のことを書くようにしています。私は結局、金鷲旗大会で団体戦で一度も二回戦に行くことはありませんでした。まあ、それはそれでいい思い出にしています(具体的にはココ )。


 金鷲旗大会、団体戦の勝ち抜き戦です。相手に恐ろしく強い人が一人でもいると、とても辛いルールです。金鷲旗で最初から超強豪校と当てられて5人抜きされている学校を見ると、ちょっと可哀想になります。折角、3年間頑張った成果が5人抜きでの敗退だとその後、柔道を続けようという気持ちが起こらなくなるのではないかと心配になります。


 ところで、私はこの勝ち抜き戦という試合のスタイルにちょっとした思い出があります。あれは高校二年の時でした。何の大会だったかは忘れましたが、勝ち抜き戦の福岡県北部大会で準々決勝まで行きました。相手はT高校。大将に100キロ級の選手が控えている学校でした。ともかく、彼を止めないことにはうちの勝ちはありません。


 どういう経緯だったか忘れましたが、主将だった私が先鋒で出ることになりました。多分、私はキャラクター的には漫画「柔道部物語」の鷲尾のようでしたので(あんなに強くないですが)、「T高校ならば、自分が大将の前までは全部抜いてくる。あとは任せた。」くらいのエラそうな口を叩いたのではないかと思われます。そこまでの試合で出番がなかったので痺れを切らしたような記憶もあります。団体戦そのものについては、当方には1年生で非常に受けの強い後輩がいたので、彼ならば相手の大将と引き分けてくれるだろうという思いがありました。


 そして、実際の試合ですが、その日の私の柔道はムチャクチャでした。引き続き漫画「柔道部物語」のキャラクターを引用すると初期の大脇のような柔道で相手の先鋒から中堅までをすべて払い腰で一本勝ちしてきました。ただし、一つ私には今に引き継ぐ大欠点があります。スタミナが基本的にあまりないのです。相手の副将と当たる時には、既に3分を過ぎたウルトラマン状態でしてカラータイマーは点滅していました。上記でも引用した最後の金鷲旗大会の時と同様に4試合目になるとバテバテで1分くらい経ったところで負けてしまいました。


 しかし、うちの柔道部顧問の平田先生はここで一つ大きなミスをしていました。上記に書いた受けの強い後輩を次鋒に据えていたのです。作戦的には、彼は副将くらいに置いて、そこまでにT高校の大将を引き出し、最後は彼に引き分けさせて1人残しで勝つという作戦がベストだったはずです。


 そして、後輩は(私に勝った)T高校の副将と引き分けてきました。そうすると、こちらは中堅、T高校はポイントゲッターの大将。3人対1人ですから何とかなるかなと一縷の望みを繋いでいましたが、最終的には全員抜かれてT高校の1人残しで、うちは負けてしまいました。今、思い直してみると、自分が相手の副将と引き分けてきておけばよかったという思いもあります(が、当時はそんな根性はありませんでした。)。


 今でも平田先生と話をする時には、「あのですね、あの時の先生の采配は間違っていたんですよ。あそこでですね、彼を副将に置いておけばですね・・・」と詰め寄ったりします。20年以上も前の小さな大会での采配を今でもチクチク言われる先生に同情の余地大ありです。まあ、少々私に言われたくらいで怯む方ではないというので好き勝手言えるわけですが。