サンフランシスコから南に1時間強、サンノゼ市に行ってきました。シリコンバレーと言われる場所です。かつて、日系アメリカ人で運輸長官をやったノーマン・ミネタ氏が1970年代に市長をやっていた市でして、サンノゼの空港は「ノーマン・ミネタ・サンノゼ空港」になっています。人口は多く、100万人をちょっと割るくらい。人口規模ではアメリカ10番目の都市だそうです。
それにしても、この付近にはオークランド、サンフランシスコ、サンノゼと国際線に乗れる大きな空港が3つもあります。サンフランシスコ空港とサンノゼ空港では、直線距離としては多分50キロくらいしか離れてないのではないかと思います。いつも北九州、福岡、山口宇部、佐賀と近距離に空港があることで悩まされる地域選出の議員としては「大丈夫なんかいな」と思わなくはありませんが、それに見合った需要があるということなんでしょう。羨ましい限りです。サンノゼから東京には、あのANAのドリームライナーが就航することになります。
かつては農業で栄えた街で食品加工産業が多くあったそうですが、1990年代後半にはすべて無くなってしまいました。数百人の解雇への対応は大変だったそうですが、話をしていると、IT産業で繁栄している今となっては「ああ、そんなこともあったな」というくらいの受け止めになっているのかなと感じました。劇的な産業構造の変化は、それが不可逆的に行われてしまえば単なるノスタルジアなのかもしれません。
サンノゼにIT関係の産業が多く立地するようになった理由についてはたくさん聞かされましたが、多分、色々な偶然の産物だということに尽きるという単純の結論に私は行きつきました。スタンフォード、UCLAといった大学の天才達がこの地に集結してきた結果として、今のサンノゼ市の繁栄があるわけですが、サンノゼ市が行政として何らかの誘導を行った結果として今の街があるようには見えませんでした。まあ、そもそもシリコンバレーに集まる天才達は行政が何かしてくれるからという動機で動く人達ではないでしょう。
ともかく印象は「リッチな街だ」ということに尽きます。平均年収は8万ドルで、全米平均のおよそ2倍。街の40%の人が年収10万ドルを超えています。どう考えても全米屈指のリッチな場所です。その帰結として、街中を見ても綺麗な感じがしましたし、治安も全米有数の良さです(それでも昨年の殺人件数は40件を超えるそうですが)。ただ、市役所の方曰く「皆さん達が思うほど、市財政はリッチではないんですよ」と語っていました。市財政の主たる財源は固定資産税、地方消費税、ビジネスライセンス税(事業所税みたいな感じ)です。ただ、例えば地方消費税は連邦消費税6%に通常は地方で2%程度上乗せしているようなのですが、サンノゼは1%と言っていましたから、その程度の課税でも十分に税収が上がるくらい街がリッチなんだろうと思いましたね。「ビジネス・ライセンス税だって収益に課税するのではなくて、従業員数への比例で、かつ上限は1社あたり25000ドルですから大した収入にはならないんです。」とも話していました。
農業を主たる産業としている時代は10万人だった人口が今や100万人。どうしても気になるのが、街のインフラ整備です。水道、電気を引いたり、道路を拡張したりと、街が拡大していくことによる行政への負担というのは相当なものがあります。結論から言うと「街が栄えているため、その辺りの負担は税収増で飲み込めている」というふうに受け止めました。街全体がとても乾燥した地域にあるので水なんか大丈夫なのかなと思うのですが、あまり問題ではなさそうに見えました。まあ、色々な意味でのイノベーションを主とする産業から成り立っていて、伝統的な製造業をやっているわけではないので、日本で言うと産業都市には不可欠な巨大な電力、水道インフラが必要ではないということもあるのかもしれません。
サンノゼには内国税、関税それぞれについて特区的なものが設置されており、企業に大胆にインセンティブを与える仕組みが整っていました。なかなか日本ではこの手の特区が税務当局の反対で成立しませんし、成立してもとても使いにくかったりします(沖縄の金融特区が良い例です)。私は少々の歪みや漏れが出てもいいから、無茶苦茶に労働規制、税制等を緩和した特区みたいなものを日本で作ってはどうかと思っています。これは今の地方からの提案型の特区ではなくて、国の方でビックリするくらいの規制緩和と税の軽減を行う仕組みを作って、地方に手を挙げさせるやり方がいいでしょう。お仕着せっぽくて地方自治の考え方に反するという意見もあるでしょうが、今回の日本での総合特区のプロセスを見ていて、やはり「国との関係で何処までアクセルを踏んでいいのか」というのに逡巡している自治体が結構ありました。アメリカは元々ビジネス環境が自由である上に、サンノゼのように特区的な優遇措置が付いてきては、今の制度では日本の都市は絶対に勝てません。「超稼ぎやすい環境」を整える特区、もう一度言います、「少々の歪みや漏れが出てもいいから」やってみるべきでしょう。将来、政府の中に入ることがあったら、絶対に私の責任で強烈に進めたい案件です。
アジア系が街の1/3くらいを占めており、珍しくジャパン・タウンがありました。こういう街はもはやサンフランシスコ、ロサンゼルスとサンノゼだけだと言っていました。豆腐もとんかつもサバの塩焼きも何でもありました。ただ、こちらに来て思うのは「日系アメリカ人はあくまでもアメリカ人。特別な期待感を持ってはいけない。」ということです。「外務省に勤めていたくせして陳腐な感想だな。」と思われるでしょう。そうなんですけども、私は外務省時代アメリカ経験が殆どなくて、どちらかと言えば欧州、中東、アフリカあたりをウロウロしていたこともあり、全く異なる経験をしていることから結構新鮮ではあります。我々は日系アメリカ人に変なシンパシーを持ってはいけないし、もっと言えば、持つこと自体が失礼なんでしょう。日本人はどうしても「日系」というと過剰な期待感を持ちがちですけども、それに見合った何かが日系アメリカ人から返ってくると思うのは間違いです。顔が似ていて、名前がよく聞いたことのあるものだと勘違いしがちですが、発想方法は完全にアメリカ人です。まあ、アルベルト・フジモリさんや、それこそサンノゼ元市長のノーマン・ミネタさんを見ていれば分かることなんですけどね。
サンノゼ市は市長がいて、市議会議員が10名でした。100万の市を10に分割して、大体10万人で一つの地区を構成して、そこから1名の議員を出しています。普通はアメリカの地方議会の議員は、別途職を持っていて兼任であるのが通例ですけども、サンノゼくらい大きな街になると専従の議員になるそうです。なお、市議会議員は党派色ゼロで共和党、民主党といった色付け、会派はないとの説明でした。市議会は市長+市議会議員で11票からなり、市長に拒否権はありません(つまり採決では他の議員と同等の権限のみ)。「結構、こじれたりするの?」と聞いてみたら、「まあ、あまり対立色のある市議会ではないけど、採決で7-4、6-5になることはある。」と話していました。
サンノゼはイノベーションで成り立っている街です。市役所の方が「我々はこの地から世界を変える」と言っていたのもさもありなんです。そんな言葉が出せる地方自治体は日本にはないでしょう。そんな事を言う自治体が出てくるような日本にしたいものだという思いを持ちながら、サンノゼを離れました。