国会が最終盤となってくる中、私が事務局長を務めるワーキングチームの報告書書きをしています。時間が限られる中、あれこれと悩みながらやっています。


 その中で、ある先輩議員と議論していた時のこと、「緒方さん、ここにある『も』は何故『も』なんですか。」と聞かれました。ここで言う「も」とは接続詞の「も」でして、「私『も』みかんが好きです」といった「も」です。


 この指摘、とても心に響きました。上記の例で言うと「彼『は』みかんが好きです。私『も』みかんがすきです。」というふうに普通は使うものです。しかし、時に第一文の「彼はみかんが好きです」の部分が一切存在しないのに、「私もみかんが好きです」と言ってしまうことが無意識のうちに出てしまうのです。


 何故、そうなるかというと、「自信のなさ」、「責任回避」的な要素があります。自分が主張しようとする事柄に対して、心の貯めを残すというか、他にも類似の事例があるかのような仄めかしをすることで、自分だけがそのことを主張しているわけではないという逃げを打つというか、そんなことが無意識の内に文章の中に作用しているのだろうと思います。


 外務省条約課時代、よくこの点で叱られていました。「意味のない『も』は使うな」と何度か言われたものです。ちょっと緊張感が無くなると、また、私の中に責任回避の虫が育ってきているのかもしれません。先輩議員のちょっとした指摘がとても身に沁みました。


 自分自身、信ずるところから逃げずに進んでいきたいと思っています。しかし、いざ文章として書いてみて推敲してみると、「ああ、自分はこんなところで逃げを打っているのだな」という反省頻りです。皆様も自分の書いた文章をよく読んでみてください。「ここは本当に『も』で繋ぐべきところなのか?」という疑問を自分自身で呈する良い機会になるでしょう。