先日、なかなか難しい時間繰りの中、南九州市の知覧特攻平和会館に行ってきました。こういうご時世だからこそ、自分の先達の歩みを素直に振り返りたかったというのが偽らざる心境でした。


 九州新幹線が走るようになってから、鹿児島がとても近くなったような気がします。博多から鹿児島中央駅まで最短ですと1時間半を切るということで、あっという間に鹿児島中央駅まで着きました。まあ、あまりこういうエントリーで変なことを言ってはいけませんが、「この駅は必要なのか?」と思えて仕方ない駅があったことだけを付記しておきます。


 鹿児島中央駅から喜入駅、そこからバスということで長閑な鹿児島の地を抜けたところに知覧町はありました。7月のこの暑い時期、正に特攻隊員が過ごした時期と重なります。


 回った場所は、通常、この地域を訪問される方のスタンダードは場所をなぞるように行きました。感想については、私の拙い能力であれこれ書くことは適当ではないと思います。それくらい重く、深い思いを抱きました。私の住むご近所の方の筆による書も見つけました。


 よく言われることが「知覧平和特攻会館にある遺書は検閲も厳しい中で書かれたもの。特攻隊員の本当の感情をそれだけで判断してはならない。軍の指定食堂だった『富屋食堂』の資料館にあるものが真実。」ということです。私にはそれをどうこう言える程の知識はありません。


 ただ、心の奥深いところで「残されているもの、すべてが真実であり、我々はそこを直視しなくてはならない。」とだけ思っています。あとはその「真実」を各人が自分なりに咀嚼していくだけだと思います。


 東京に上がってきて、早速特攻関係の書物を3冊程買いました。今年は暑い夏です。あの66年前の夏も暑かったと聞いています。特攻隊員の方々が南海に散りながらも望んでいった日本の輝かしい姿を我々は実現できているであろうか、そういう厳しい問いを自分に突きつけながら、書に目を通していこうと思います。


 最後に一言。「知覧で特攻に散った先達を振り返る」と話したら、「緒方さん、右派ですねぇ」と言われました。全然関係ないはずなのですが・・・。日本ではそういうふうに受け止められるんだなと変に感心してしまいました。