柔道の金鷲旗大会が近づいてきました。柔道をやったことがない方には分からないでしょうが、高校柔道の世界では最も重要な大会と言ってもいいくらいです。7月のこの時期に福岡市で行う、勝ち抜き選による団体戦です。剣道では玉竜旗という大会になります。福岡県にあって柔道部を有する高校は大体がこれに参加をします。最近は韓国の学校も参加していてかなり上位に残ります。


 この大会、勝ち抜き選なので強豪校は先鋒が5人抜きをポンポンと実現していきます。例年、強豪校の先鋒が連続15人抜き、20人抜きと記録を出していきます。20人抜きだと2回戦から5回戦まですべて一人で終えてしまった計算になります。過去には1試合も出ないまま優勝した選手がいたチームもありました(つまり、決勝まですべて副将までで終えたということ。)。


 私の頃は、母校東筑高校はそんなに強い学校ではありませんでした。福岡県北部地区大会で3位に入って県大会に行けるか行けないかくらいでした。金鷲旗でいうと、まあ1回勝てるかどうかの学校でした。1回戦に勝つと、もう一晩泊まれるようになります。一応、目標は「二日目まで残る」ということにしていました。


 そして、先日、母校東筑高校で金鷲旗を前にOBによる稽古総攬(という程偉そうなものではありませんが)がありました。折角の機会なので、忙しくはありますが柔道着を持って練習に参加してきました。私が在校時からあった企画で、先輩から焼肉をおごってもらえる会という位置づけにしていました。


 そして、私もその「先輩」なるものとして参加するようになっています。三段とは言え、あまり実力を伴わないお情けで取った三段なので、さすがに現主将には手も足も出ません(ので、現主将とはやりませんでした。ケガをしてもいけませんから。)。まあ、いい汗を流しました。私はかつては大外刈り、払い腰を多用するマッスルマンでしたが、今は内股、足払い、そして(欧州で学んだ)怪しげなヨーロピアン柔道みたいなことばかりやっています。ちなみに最近、この映像 が気に入っています(私にはできません)。勝ったのは青色のグルジア選手です。


 金鷲旗と言えば、今でも思い出すのは高校3年の時です。記憶が曖昧なところもありますが、たしか一回戦で山口の岩国工業高校と当たりました。どれくらい強いのか分かりませんでしたが、我が部の顧問平田先生は「大体、同じくらいのレベル」と説明してくれました。


 ・・・、しかし、何故か岩国工業高校は強く、大将(5人目)の私に回ってきた時はまだ相手は中堅(3人目)でした。場外注意とか、色々な不運が重なって、うちのポイントゲッターまでもが負けていくのを見て、不運を恨んだものです。うちの高校が勝つためには、私が中堅、副将、大将と抜かなくてはなりません。畳の上に立った時、「・・・、おいおいおい、聞いてないよ」という気分になりました。


 しかし、(自慢になりますが)その日の私はそこそこ調子が良かったのです。相手の中堅に優勢勝ち(たしか、大外刈り)、副将には後半2分を過ぎた頃に会心の払い腰で一本勝ち。大将戦にまで持ち込んだのです。ただ、かなり疲弊していました。私の欠点はスタミナに欠けるというところです。ここで私の心によぎったのは「後は引き分けて、代表戦でもう一人のポイントゲッターに頑張ってもらおう」ということでした。岩国工業高校の相手は決して強そうではありませんでしたが、疲弊していたこともあり、変な技を無理してかけて返し技にあってもいけないと思い、慎重に3分(4分?)の試合を終えました。引き分けでした。一応、ここで5対5の試合は全体として「引き分け」の状態になり、代表戦になります。


 私は「あー、俺の仕事は終わった」と思って、試合場から下がろうとしたら、我が恩師平田先生が「よし、緒方行けー」と叫んでいます。2回目の「・・・、おいおいおい、聞いてないよ」です。「何をアホなことを言っとるのだ。代表戦はオレじゃないだろう」と思って、手を振りながら平田先生に「いえいえ、私はもう無理ですよ」のサインを送りました。ここで当時の緒方青年は重大な事実を知ることになります。金鷲旗では「代表戦は大将同士で行う」というルールがあったのです。


 そういう重大なルールを知らずに試合に出る私も私ですが、ともかく泣けてきました。しかし、ルールはルール。最後の力を振り絞って、代表戦に臨みました。岩国工業高校から「相手は疲れているぞ。足を狙え。」と指示が飛んでいます。何と的確なアドバイスでしょう。その後はよく覚えていませんが、最後は抑え込まれて負けてしまいました。私の高校3年間の柔道生活はここで終わりを告げました。悔しかったですが、それなりに「やることはやった」という気持ちがあったと思います。


 今となってはいい思い出です。後輩には「あのな、金鷲旗の代表戦は大将同士だからな。間違えるなよ。」と懇々と語りました。多分、何のことか分かってもらえなかったでしょう。あと、20日程度、我が東筑高校の健闘を祈るばかりです。