2004年末から2005年正月にかけて、コーカサス地方のグルジア、アルメニアに旅行した際の手記です。当時は外務省国際法局条約課課長補佐でした。

●  旅行に際し
 「コーカサス地方」、この言葉を聞いて具体的なイメージを有する人間は日本にはそれ程多くないと思う。まあ、小生も事前に何か具体的なイメージがあったわけではない。グルジアといえばスターリンとシュヴァルナッゼ(ソ連時代の外務大臣。その後、グルジア大統領。)、アルメニアについては「剣の舞」の作曲者であるハチャトゥリアンくらいしか知らない。最近ではグルジアについては黒海太という関取が有名になっていたりする。小生はよく分からないのだが、大体、グルジア人は「・・・ビリ」「・・・ッゼ」、アルメニア人は「・・・リアン」という名前が多いようである。それぞれの国の大統領はサーカシビリ、コチャリアンである。

 とどのところ「飲んで、食って帰ってくる。」、これに尽きる。最近はグルジア・ワインやカスピ海ヨーグルトなどが日本でメジャーになりつつあるし、せいぜい食い散らかしながら珍道中を繰り広げてくるということに他ならない。

 その珍道中の相手は、小生の友人カリホである。カリホは役所の友人で、もう付き合いは長い。そもそも、コーカサスに行くきっかけは、カリホと飲んでいる時に「グルジア、アルメニアの旅」ネタで盛り上がってしまって、「時代はコーカサスだ。」とその場で行くことに合意してしまったというだけのことである。

 彼とは2000年夏ウズベキスタン、2001年夏タジキスタン、2003年冬トルクメニスタンと既に「スタン系」の国を共に旅行したことがある。大体、こいつと旅行していると変な出来事に巻き込まれることが多く、ウズベキスタンでは街中の野外カラオケで、二人でカルチャー・クラブの「カーマ・カメレオン」を熱唱して聴衆の喝采を浴びたとか、タジキスタン・ホテルで一緒に朝食を取ったのに何故か小生だけ卵に当たってタジク・アフガン国境で吐いたとか、トルクメニスタンで1ドルのタクシー代をケチって交番に連行されたとか、まあ色々あった。そういえば、トルクメニスタンのホテルで彼の部屋のドアを叩いたら、上半身裸で「悪い、今、取り込み中。」と言われ、人の気配のする部屋の奥に消えていったこともあった。彼がイラクに出張に言っていた際、「元気にしています。」というメールと共に、飲み屋のセクシー系お姉さんの写真が一緒に送ってきたこともある。

 彼との合言葉は「バシャーン」。これはタジキスタン奥地のゴルノバダフシャン自治州で使われている方言で、どうも「Good」、「Tres Bien(トレ・ビアン)」、「ХОЛОШО(ハラショー)」くらいに相当する文句らしい。ただ、一般のタジキスタン人にも理解できない文句なので、ホントにパミール高原の奥地に住む数千人の人にしか通用しない方言である。小生とカリホはこの文句が気に入っていて、役所で会うとカリホは「おー、リンタ、バシャーン。」と語りかけてくる。全く意味不明としか言いようがない。

 しかも、カリホは役所の研修でアラビア語を学んだにもかかわらず、何故かロシア語にも強い。一時期、日本でも流行ったタトゥーについても、日本でブレイクする1年前からこいつはフォローしていた。こいつと飲みに行くと、大体、六本木のロシア料理店「バイカル」になる。そして、こいつはロシア語でカラオケを熱唱している。しかも、よくロシア人女性から携帯に電話がかかってくる。ともかく怪しい男である。ただ、現地で何かこじれた時にはそれなりに使える男である。

 ただ、一緒に旅行するといっても、何故か今回は「現地集合、現地解散」の旅である。端的に言うと、お互いマイレージを使って行くことにしたのだが、常日頃から小生はスター・アライアンス系、彼はブリティッシュ・エアウェイズ(BA)を愛用していることから、小生はウィーン経由のオーストリア航空(スター・アライアンス)、カリホはBAでグルジアの首都トビリシ入りするということである。普通の人だと「大丈夫なの?」と思うだろうが、これまでも同様の状況で失敗したことはないのであまり気にしていない。

● チケットの予約と査証
 上記のとおり、小生はオーストリア航空である。ウィーン発トビリシ行きで入って、エレヴァン発ウィーン行きで帰ることにした。早速、ANA(小生はANAのカードでマイレージを貯めている。)の特典航空券予約デスクに電話する。しかし、ANAのお姉さんは「トビリシ」、「エレヴァン」という地名を知らない。小生が「あのー、オーストリア航空でウィーン経由でトビリシに行くんですけど。」と言っても、「はぁ?(何、こいつ?)」というリアクションである。小生の心の中では例のごとくイライラ君が「あのねぇ、旅行会社に勤めてるんでしょ。」と叫んでいるのだが、その横で小生の心の中に慎ましやかに生きる良識君が「いやいや、外務省の中でもトビリシと言って分かる人はそう多くはないだろ。」と囁きかける。懇切丁寧に説明してようやく理解してくれた。ちなみに全行程で使用マイルは55000マイル、これだけ使ってもまだ10万マイルくらい余りがある。昨年正月のチベット、昨年夏のインドとすべてマイレージで旅行している。

 しかし、ウィーンからトビリシ行きの飛行機は本数が少なく、ウィーン・トビリシ間でオーストリア航空を使うと現地滞在時間が相当短くなることが判明したので、行きのウィーン・トビリシはマイレージとは別にして、都合のいい便があるグルジア航空を使う方がいいことに気付いた。しかし、日本の旅行会社ではグルジア航空なんかを扱っているところはない。

 ...はて、困った。仕方ないのでグルジア航空ウィーン支店に電話してみた。しかし、この支店、全然英語が通じず役立たずなのである。電話先では「ドイチ、ルスキー・イズィーク(ロシア語)?」と言っており、明らかにドイツ語かロシア語しかできない輩のようである。仕方ないので、大学の第二外国語で学んだドイツ語で「Ich kann nicht Deutsche sprechen.(ドイツ語が話せません。)」とか、最近、学んだロシア語で「ヤー・ニー・ガヴァリュー・パ・ルスキー(ロシア語を話しません。)(なお、間違っているかもしれないが一応通じた模様。)」とか言ってみたら、ブチッと電話を切られた。よく考え直してみると「話せません。」とその言語で説明しても、何の問題解決にもならないのである。日本語で「私、ニホンゴ話せないアルヨ。」としか言えないインチキ中国人とは誰も話したくないのと同じである。

 ということで、次善の策としてグルジア航空トビリシ本社にFAXをしてみる。「私はこれこれこういう者ですがチケットを予約したく存じます。」と英語で書いて送った。すると、次の日に小生のメール・アドレスに「アルチヴァッゼ」という名前の人から「予約しておきました。料金は400ユーロ。チケットはウィーンの空港オフィスで引き取ってください。」という連絡が来た。ただ、アルチヴァッゼ氏はyahooのメール・アドレスから小生のところに連絡しているに過ぎず、当てになるかならないかは分からないのだが、明らかに名前がグルジア人っぽいし、それ以上に頑張っても効果は限られていると思ったので、それで安心することにした。それにしても、2時間半のフライトで400ユーロは欧州の相場では結構お高いかもと思ったが(多分、グルジア人との差額料金制度になっているはず。)、所詮、小生はそれ以外のところがタダなので、「まあ、そんなもんか。」と思うことにする。

 なお、グルジアの査証は空港で取れるようである。アルメニアの査証は陸路国境で取れるという話もあるし、取れないという話もあるが、一々悩んでも仕方ないので「陸路国境で取れる。」と勝手に決め込むことにした。過去に取れた人間がいるのであれば、我々も取れる、とどのところそれに尽きる。

● ユネスコ世界遺産
 ちなみに小生は密かにユネスコ世界遺産巡りに凝っていたりする。これまで行った世界遺産は55個。意外に悪くない数字だと思う。死ぬまでに100個が目標である。ちなみに小生が行ったことのある世界遺産は以下のとおり。カスも多いが、そこに行くまでに一苦労のレア物も結構ある(最難関は恐らくトルクメニスタンのメルヴか、マリのバンジャガラの崖。)。自慢は先進国が少ないことである。フランスに2年も居たのにイタリアとスペインに行ったことがないためか、欧州はそれ程多くはない。小生はうるさくて、秩序のないラテンが嫌いなのである。

日本:原爆ドーム、法隆寺、奈良、京都、日光東照宮、首里城
中国:ラサのポタラ宮
フランス:フォンテーヌブロー、モン・サン・ミッシェル、リヨン旧市街、セーヌ川沿い、シャルトル、ストラスブール、ロワール川沿いの古城、カルカッソンヌ、ヴェルサイユ宮殿
ベルギー:ブラッセル大広場、ブリュージュ
ドイツ:ライン川上中流
イギリス:キュー・ガーデン、ロンドン塔、ウェストミンスター宮殿
ポルトガル:ポルトー、エヴォラ
オーストリア:シェーン・ブラン王宮、ウィーン旧市街
ロシア:クレムリン
セネガル:ゴレ島
マリ:ジェンネ・モスク、バンジャガラの崖
タンザニア:ザンジバル、ンゴロンゴロ国立公園
ウズベキスタン:サマルカンド、ボハラ、イチャン・カラ
トルクメニスタン:メルヴ
トルコ:イスタンブール
イラン:イスファハーン、ペルセポリス
ヨルダン:ペトラ
イスラエル:エルサレム旧市街
エジプト:ピラミッド、カイロ歴史街
パキスタン:タキシラ
インド:タージ・マハル、アグラ・フォート、ファーテフプール・シークリー、クトゥブ・ミナール、フマーユーン廟
ネパール:カトマンドゥ市内
スリランカ:ポロンナルワ、シッギリヤ、キャンディー、ダンブッラ
メキシコ:チチェン・イツァ

ということで、これに今回いくつ加えることができるかが課題である。小生の算段では4つは行けると見ている。

【グルジア】
・ ムツヘタ

【アルメニア】
・ ハグパト修道院とサナーヒン修道院
・ エチュミアジン教会
・ ゲグハルト修道院

● 出発一週間前
 出発までの日々は「超多忙」の一言に尽きた。

 小生は外務省でささやかながらロシアという国と御縁がある。したがって、ロシア課という部署とお付き合いがある。外務省にはロシアン・スクールという、ロシアを専門にするとっても怖い集団がいて、ロシア課という部署はその総本山みたいなところである。彼らのロシアに対する思い入れは強く、課の中には「I LOVE PUTIN!!」と書いたプーチン大統領のポスターが一面に張ってある。また、彼らは密かに定期入れにエリツィン前大統領とレーニンのブロマイドを入れて、崇め奉っているらしい。

 ともかくそのロシアに対する意気込みたるや、かなう者はいない。小生が役所で一年目の時には、ロシア課に仕事を持っていったら、どうも忙しい中邪魔だったらしく、「おまえ邪魔だ、そこに立ってろ。」と怒鳴りつけられ、課の隅に直立不動で立たされたこともある。今でも、小生はロシア課に入っていくときは「怒られて立たされないだろうか。」と緊張する。

 そんな中、いたいけな小生はロシア課から仕事を依頼され、いつもボコボコにされている。今回は山のような文書攻撃に遭い、「ひぇー、すいません御容赦を。」という小生の嘆願にもかかわらず、ロシア課の押しに負けてしまい、連日深夜まで「I LOVE PUTIN, I LOVE PUTIN…」と、トボトボと口ずさみながら仕事をこなしていた。仮にロシア課の誰かがKGB張りに小生の机に盗聴器を仕掛けていたとしても、小生の「I LOVE PUTIN」の独り言をきっと評価してくれたものと信じている。

● 12月18日
 深夜2時半、ようやく仕事に一段落を付けることができた。大方の仕事を引き継いで、今日から遂に旅に出る。感慨無量である。

 朝、2時間くらいの睡眠で成田に向かう。まあ、こういうのは一度動き始めれば、後はベルトコンベアーのように進んでいくもので、特に問題もなくすんなりとウィーンまで到着する。

 何となく市内に出たくなったので、荷物を持って電車に乗る。すると、車内改札のおじさんが「はい、チケット見せて。」。小生はさっき買った1.5ユーロのチケットを出す。おじさんは分かりにくい英語で「これはウィーン市内までのチケットではない。追加料金4.5ユーロを払ってください。」と言う。小生は「計6ユーロ、えらく高いな。」と思いながらも、逆らっても仕方がないので4.5ユーロを払う。そして、ウィーン市内について空港からの列車運賃を調べてみると3ユーロ。なんと2倍も払わされたことになる。ムカッとしたので駅員に抗議。この駅員の説明がこれまた理路整然としていたのである。小生から「2倍のペナルティとはひどいではないか。」と言ったのに対し、「そもそも、車内で切符を販売することは認められておらず、例外的な措置の手数料として3ユーロを徴収することになっている。あなたの買うべきであった切符3ユーロ+手数料3ユーロであって、2倍のペナルティという考え方ではない。」。うーん、何と理路整然としているのだろう。イライラが収まったわけではないが、改札のおじさんに騙されたわけではなさそうである。ある意味、「ルールはルール」というゲルマン系の考え方が徹底されているのだと自分自身を納得させることにした。

 その後、駅の周辺で宿を探す。何処も結構高いなと思いながら歩いていたら、入ったホテルで「47ユーロです。」というところがあった。それなりに悪くないホテルだったので「ふーん、お得だな。」と思ってそこに入ることにした。

 落ち着いた後、ウィーンの街中を周る。6年前くらいに来たことがあるが、その時の印象は「エッチな本が堂々と街中のスタンドで売られている街」ということに尽きる。それはそれは大っぴらに公道のスタンドで販売されていたのである。ただ、今回、それが一掃されており、街中エッチ本販売度が格段に下がっていた。理由はよく分からないが、政権交代があって、ハイダーの極右政党自由党が政権に入って、規律の維持を重視したのかなと思考をめぐらせる。そんなこんなで、小生の中で「エッチな本の街ウィーン」のイメージが少しだけ変わった。

● 19日
 さて、今日はグルジアへのフライトの日である。朝早くチェックアウトをする。お姉さんが「74ユーロ」と書いた領収証を小生に見せる。「はぁ?」と思ったが、その時、0.5秒で「しめた、こいつは昨日『74ユーロ』と言うべきところを『47ユーロ』と言い間違えた。」と気付いた。たしか、ドイツ語では2桁の数字は1桁の数字の後に2桁の数字を標記するはずで、英語を母語としないこのお姉さんはドイツ語の感覚で間違えてしまったのである。「いや、あなた昨日47ユーロと言ったでしょ。」、ここで昨日、小生が自分自身を納得させた不愉快なフレーズ「ルールはルール」を口にしてみる。そうすると、お姉さんはさすがにゲルマン系、上司に相談してから「では47ユーロでいいです。」との返事(フランスではこうは行かなかっただろう。)。昨日、3ユーロを不当にふんだくられた借りを返した気分である。このお姉さんには悪いが、オーストリア全体で考えたときに、まあ、それなりに収支が合ったので、今回はこれくらいでオーストリアを許してやることにした(小生の中ではそういう気分だったのである。)。

 そして、空港。アルチヴァッゼ氏が示唆してくれたグルジア航空オフィスを探す…。ない、ないのである、グルジア航空オフィスが。ちょっと焦る。困ったなあと思いながら、オーストリア航空オフィスに相談すると、「そのフライトはオーストリア航空とコードシェアしており、当オフィスで購入すると800ユーロでございます。」などととぼけたことを言う。「バカこくでねぇ。」と思いながら詰め寄ると、ちょっと調べてくれて「ウクライナ航空のオフィスがグルジア航空も担当しています。」との返事。ということでウクライナ航空オフィスに向かう。開いてない…。「何なんだ、こやつらは!!」と憤慨する。すると、10分ぐらいすると、「いかにも役に立たなさそうな旧ソ連系のとぼけたおやじ」がやってきて、「何だ?」と聞く。これこれこういう事情で今日、ここでグルジア航空のチケットを引き取ることになっている…と説明すると、そのおやじは何やらコンピューターをいじり始めた。「んで、トビリシまで今日?片道、往復?」、ちょっとガクンとしながらも、何とかチケット購入はできそうだったのであれこれ説明してようやくチケット発券に至る。そこで「あー、クレジットカードや米ドルはダメね。ユーロの現金だけ。」、またもやガクンとする。手元にはユーロの現金は100ユーロしかない。「おまえなあ、客商売をやる気があるのかよ…」と思いながらも、ここで問答をしても無駄なので、大急ぎでドルをユーロに交換する。こういう時にユーロが強くなっているのが痛い。1200ドルしか手持ちのドルがないのに、早速、300ユーロ相当の450ドル近く使ってしまった。そんなこんなでチケットを購入。正直なところ、これだけで相当疲れた。

 出発ロビー。何となくボロい。そう、旧ソ連圏に行くフライトは全部ボロいロビーに纏められているようである。周囲にはキシニョフ(モルドバ)行きのフライトとか、中央アジア行きのフライトに乗る人がたくさんいる。突然にして、ロシア語が主要言語に変わるし、心なしか雰囲気がもの悲しげになる。昔、セネガルに勤めている時もそうだった。いつも、パリのシャルル・ドゴール空港の一番隅まで歩かされた。途中まではレストランとか店とかがあって華やかだったのが、隅まで行くと雰囲気はすっかりアフリカ特有の臭いが漂っていて、周囲では木の枝で歯を磨いている(最後まで意味が分からなかったが、木を食べているようにも見えた)豪快セネガル人おばちゃんがウォロフ語(セネガルの現地語)で「ワーオ、ワーオ(yesの意)」と話しているのが聞こえてくると、「あー、アフリカに戻るんだな。」と感慨に浸ったものである。まあ、それと似たようなものである。

 そのグルジア航空のフライト、意外に悪くないのである。アエロフロート並みかと思っていたら、機体もスチュワーデスも機内食も意外に良いのである。この努力ぶり、ロシアも見習えよと言いたい。3時間のフライトを快適に過ごした。機内から眺めるコーカサスの山並みを見て気分が高まる。


 更に驚いたのが、トビリシの空港。「どうせ、また、査証取得でチマチマやられるんだろう。」と覚悟はしていたのだが、空港に入るとすぐ横に外務省の出張所があって、簡単な書類を記入するとすぐに査証を出してくれた。10ドル。その後、入国審査も感じの良いおじさんで、「日本からか?」、「そうだ。」、「ウェルカム・トゥー・ジョージア!」のやり取りですぐにペタンと判を押してくれた。小生はグルジア語でありがとうを意味する「ディーディー・マトローバ」というフレーズを口にすると、感動したのかわざわざブースを出て荷物検査のところまで小生を誘導し、「いや、こいつはジャーパン(大体、こういう発音になる。「ジャ」の方にアクセントがある。)からの客でな。通してやってくれ。」とばかりに簡単にスルーさせてくれた。旧ソ連圏にありがちな外貨申告もない。いや、グルジアは頑張っている、そう思った。査証取得の煩雑さ、空港の明かりは暗い、職員の態度は悪い、入国客でごった返しているのにブースが2つくらいしか開いていない、イケてない税関職員…、モスクワのシュレメチェボ第二空港も少しは見習えよなと思った。なんでも、かの国ロシアは観光促進に力を入れたいそうである。いつか、ロシア外務省の人に「バーカ、まずはグルジアを見習え。」といつか言ってやりたいと思っている。

(後日談:既にグルジアは日本人への査証免除を決めたようである。偉い。日本との合意で査証手数料免除を決めているにも守らずに高額の手数料を取るロシア、招待状制度の廃止は法律があるためできないとほざくロシア、日切れ査証(入国と出国の期限が決まっている査証)はフォーマットが決まっているから維持するとほざくロシア。どっちがダメダメかは、これだけでも明らかである。)

 空港から街中はタクシー。10ドル、ちょっと高い。タクシーの親父はしきりに小生に「Girl? Dance Bar?」と薦めてくるが、程よく無視する。きっと、この地でもロシアやウクライナから連れられてきたいたいけなお姉さんがその手の店で働いているのだろう(違法に連れてこられた人もいる)。不謹慎であるが、石油や武器の販売代金、そして外国に住むロシア人の本国送金がロシアの外貨を支えている。東京でも六本木や錦糸町にロシア人お姉さんがたむろしているが、プライベートで話しかけてみると、「私のパパとママがね、今、ウラジオストクに居るんだけどね…。」と、極めて私的なことを、時に写真など見せながら楽しそうに話してくれる。そういうロシア人女性を見ると人生の悲哀を感じると共に、「早くお国に帰って幸せになりなさい。」と心で静かに呟く。

 まあ、そんなこんなで、トビリシの中心ルスタヴェリ通りにあるホテル・イパーリに到着。なかなか良い感じのホテルであるが、こんな冬に観光に来る変人もいないので客は我々だけ。二人で80ドル。ここでカリホが来るのを待つわけだが、その前に一回トビリシ周遊することにした。

 既に、17:00にして薄暗い街を歩いて周る。トビリシの街は非常に教会が多い。グルジア正教が国民の生活に根付いている。皆、宗教的建築物の前に来ると、ほぼ例外なく、どんな変なヤツでも手で十字架を切ってお祈りをする。これはアルメニアにはない習慣だった(だからと言って、どちらが信仰心が厚いということではない。あくまでも習慣の問題である。)。宗教を否定していたソ連時代はどうしてたのかね?と思う。


 2時間程度、色々と周ったのだが、正直なところ薄暗くてよく分からなかったので、ホテルに帰って、カリホが到着するまで寝る。うとうとし始めたところで、突然ドアがバタンッと開いて、「おー、リンタ、バシャーン。」。カリホの到着である。

● 20日
 朝からカリホと共にトビリシ市内を周る。街自体はレトロな雰囲気が漂う。普通の町並みの中にも古い歴史を感じる。どの家からもバルコニーが出っ張っているのだが、カリホ曰く「イラクでもこんな感じなんだよな。」とのこと。中東と近いことを感じさせる。



 そう、ここは中東と近いのである。よく地図を見れば分かるが、この国はトルコやアゼルバイジャンと国境を接しており、イラン、イラクからそれ程遠くない地域である。街中で「ハビービ、ハビービ(愛する人の意)」と鼻にかかった声で歌う短調かつ単調なアラビア語の曲が流れていたりするのを聞くと、すっかり中東のテイストを感じる。

 トビリシの街中を巡ると、それなりに発展しかけている兆しを見つけることができ、欧米の企業もそれなりに進出しているように見えた。一般的に思ったことだが、グルジア人は教育が高い。人々のレベルが高いように感じた。何をもってそう言うのかと聞かれると一言で応えるのは難しいのだが、文学的センス、人々の勤勉度を総合した知性を感じさせる。この国はロシアと仲が悪いとか、資源があまり出ないとか、色々なハンディキャップはあるが、もう少ししたら経済的に発展し始めるだろうと確信した。資源が出るせいで、怠惰で傲慢な姿勢が身についているロシアやアゼルバイジャンなんか蹴散らせ、と応援したくなる。滞在中、カリホと二人で「民度が高いぜ、ここは。」と繰り返した。

 しかも、ここでは旧ソ連圏でロシアとあまり仲がよくない国にありがちな「ロシア語離れ」を感じる。えてして、旧ソ連圏で今、ロシアと関係がよくない国では、首都の街中では皆、ロシア語を話しているのに、街中の表示からロシア語が意図的に排除されているという現象が端緒である。トルクメニスタンもそうだった。明らかに国民教育の一環として、自国語教育、自国語化を推し進めていることが分かる。したがって、トビリシの街中ではすべてがグルジア語標記か、英語標記なのである。まだ、ロシア語標記であれば、少なくとも何と発音するのかくらいは分かるが、どう見ても理解不能で、一見東南アジア言語のようにも見えるグルジア語ではお手上げである。ただ、そんな中、小生が暗記した数少ないグルジア語「ディーディー・マトローバ(ありがとう)」、「ガマルジョバート(こんにちは)」、「ガウマルジョス(乾杯)」は現地人のウケを取るに十分であった。

 ということで、まず、トビリシ市東部の丘の上にあるカルトリス・デダ(グルジアの母の意)に行く。簡単に言うと、巨大な女性の像が街を見下ろしている構図である。日本にあれば、比較的どの地方でも見ることの出来る巨大な像の一種にしか見えないだろうが、トビリシ市民にとってはスピリチュアルなんだろう。なお、この近くに温泉があるはずだと思って探したのだがなかった。トビリシという名前は「温泉」という意味らしく、昔、クリミア戦争で当地を訪れたアレクサンドル・デュマも温泉に入ったという由緒あるものらしい。


 ここでカリホと飯。グルジアではハチャプリという名前のチーズ入りパイが何処でも売っている。単にパイの生地にチーズが入ったものを揚げただけの他愛もないものなのだが、これが美味いのである。バリエーションがあまりないので、毎回食べるわけではないが、グルジア滞在中はよくハチャプリを食べた。水は大体がガス入りの「ボルジョミ」になる。グルジア人は「ボルジョミは世界最高のミネラル・ウォーターで、世界中で色々な賞を貰っている。」とよく自慢する。んで、ボルジョミのラベルを見てみると(正確でないかもしれないが)「キエフ・インターナショナル・コンクール金賞」とか、「プラハ・コンクール優秀賞」とか書いてある。そう、つまりは旧東側で色々な賞を貰っているということに過ぎないのだが、それがいつのまにか「世界中で楽しまれているボルジョミ」になっている。「おいおい違うんじゃないのか、それって。」と思うのだが、まあ、ボルジョミ自体はたしかにレベルの高いミネラル・ウォーターだと感じたし、それでグルジア人が満足しているのならそれでいいのである。ちなみに、その後モスクワ出張に行った際、たしかにボルジョミが出てきたがガスが抜けていて不味かった。


 その後、カリホがインターネット・チャットで事前に知り合ったグルジア人女性ルイーザと会うことになる。よく理由は分からないが、カリホはそうやって全く見ず知らずの人と仲良くなる能力が著しく高い。ルイーザは29歳のちょっと中東っぽい感じを漂わせる女性。眉毛が濃い。ただし、英語はできないので、小生とは会話が成立しない。会話はすべてカリホ経由となる。

 ルイーザと合流してから、ホテル・イパーリから宿を移す。カリホがグルジアの旅行会社経由で留保していた民家でのホーム・ステイである。ホントに一般の人が住む家の部屋を間借りするホーム・ステイである。家の御主人(女性)はゼイコさんという方で人のいいおばあさんだった。何でも息子が亡くなってしまったので部屋が余っているとのことで、カリホと小生に別々のベッド・ルーム+リビングが自由に使える状態であった。ホテルに泊まるよりも、こっちの方がアメニティは高い。普通の家のはずなのだが、絵とか本とかがきちんと並べられていて、グルジア人のレベルの高さをここでもうかがわせる。ちなみに1名1泊23ドル(だが、中間マージンがあるらしく、ゼイコさんは「直接コンタクトしてくれればもっと安くするのに。」と言っていた。次回、グルジアに行く時は事前に連絡してみたいと思っている。)。

 その後、街中をあれこれ回った。街の北部にあるツミンダ・サメバという巨大なアルメニア教会(グルジア人はグルジア系だと言い張るが、どのガイドを見てもアルメニア系だと書いてある。)とか、まあ、色々と回ったのだがあまりよく説明できないのでここでは省略する。街中は欧米のものがどんどん入っていて、マクドナルドもあれば、洒落たショッピングも可能である。シャネルの服やサングラスだって購入しようと思えば可能である(カリホはシャネルのサングラスを買っていた。)。それはそれでいいのだが、世界中何処に行っても同じようなものがあるというのはつまらないものである。


 と、思っていたらカリホの携帯が鳴る。東京の外務省から小生宛である。同じ課で働く後輩のマック君が「あのー、新年にロシア出張が入ることになったんですけど…。一応、連絡しておこうと思いまして。」。もう超ショックである。グルジアの首都トビリシのど真ん中を闊歩しているときに最悪の連絡である。「こんなとこまでそんな連絡してくるなよ、おまえ。」と気分が暗くなる。ちなみに、マック君は小生の課で働いていて、毎日マクドナルドばかり食べているが、その正体は外務省ロシアン・スクールの一味である。きっと、小生が、ロシアの敵グルジアに居ることを察知したロシア課が「けしからん」と思い、裏でマック君に手を回したに違いない。このKGB並みの能力、恐るべし、外務省ロシア課である。

 気を取り直して街を歩いていると、街中で結構、ズビャダウリの写真を見る。携帯電話の広告のようである。柔道二段の小生は「あー、こいつか。」と思うが、ズビャダウリと言っても日本国内で知っている人は少ないだろう。アテネ・オリンピックの柔道90キロ決勝で、日本の泉選手の大外刈りを裏投げ気味に返して金メダルを取った男である。顔はカッコ良いし肉体派。お国のヒーローという感じであった。この国はアトランタ・オリンピックでも、95キロ超級決勝でハハレイシビリが小川直也を破った。えてしてイラン、トルコを始めとするこの地域の国々は重量挙げとか、レスリングとかが強い。こういった国には力持ちとか強いとかいうことが相応の尊敬を集める文化が根付いている。黒海太を見ても分かるように、決して侮れないのである。最近はインリンに変な技でやられている小川直也との違いをしみじみ感じた。

 夜はルイーザが家に招いてくれるというので、カリホと共にお邪魔することとした。着いて二日目にもかかわらず、一般のグルジア人家庭を知るのは幸運な機会である。グルジア人の今晩のおかず、気分はすっかりヨネスケである。ちょっと家が市内から離れているので、タクシーに乗る。タクシーの中で、カリホはルイーザから「日本人の若い女性の特徴」を聞かれ、例示として「頭が悪そうに意味なく『かわいーーー』と高い声で言うこと」と説明した後、実際、三オクターブくらい高い声で「かわいーーー」を連発している。次第にルイーザも触発され「かわいーーー」と真似するようになって、何故か、最後には小生も含めて三人でタクシーの中で三オクターブくらい高い声で、日本人女性の特徴としての「かわいーーー」をひたすら繰り返した。あれはタクシーのおじさんはきっと「かわいーーー」と叫ぶことで幸福を招来する新興宗教か何かだと思ったに違いない。いずれにしても、日本人女性の有する価値規準が「かわいいか、かわいくないか」に極限されつつあるというのは正しいような気もするのであえて小生から訂正することはしなかった。

 ルイーザの家にはお姉さんとか、同居者とか、よく分からない人達が5~6名居た。35歳くらいの少し年増で若干恰幅のいいお姉さんに、ちょっと流し目で熱い視線を注いで見るが、どうもそういう微妙なアプローチは通じないようであった。大体、小生は世界の変な地域でしかモテない。人生で「オレって実はモテるのでは?」と勘違いながらも思えたのは、モーリタニア、ユーゴスラヴィア、スリランカくらいである。これまで真剣に考えたことはなかったが、それはとどのところ「オレの顔はバタ臭い」ということに証明に他ならない。イランでも女学生の熱い視線を浴びたことがあるが、どうも、それは小生が(当時の)イランサッカーのエース・ストライカーであったホダダード・アジジに似ているからということだったらしい。最近、初めてアジジの写真を見たが、個人的にはかなり残念であった。

 カリホは早速、ロシア語で何か会話している。小生は愛想笑いをするしかない。食事は、「ヒンカリ」という端的に言うと水餃子のようなものがメインであった。起源は分からないが、何となく中国の餃子とルーツが一緒なのではないかと思った。いずれにしても、なかなかイケる。

 メシを食っていると、その中でも英語が少しだけできるお兄さんが小生に「これからどうするんだ?」と聞いてきたので、小生から「まあ、グルジアに数日居た後、アルメニアに抜けていく。」と言うと、周囲の皆が「つまんねえぞ、あそこは。」という返事が返ってきた。「あいつらは建物を全部石で作っていて芸がない。」とか、「食ってるものが不味い。」とか、まあ、よくありがちな近隣関係である。例えて言うなら、B&Bの島田洋七(広島出身)が洋八(岡山出身)に対して、広島名物もみじ饅頭を自慢したり、「広島では新幹線が10分止まるが、岡山では3秒。」とけなすのをネタにしていたのと同じレベルである。ということで、小生は「うなずきトリオ(小生より年下の人には分からないでしょう。)」よろしく、ずっと頷いて聞いていた。ただ、グルジアは北側ではロシアと決定的に仲が悪く、アルメニアは隣国でまともな関係を維持できるのはイランかグルジアしかない。「所詮は仲良くしないとやっていけないのだよ、君達は。」と心で呟いた。

 と思っていると、食後のダンス・タイムということで既にカリホは全快で変な踊りを繰り広げている。小生も加わる。日本の踊りということで、小生とカリホはどじょうすくいをやっていたら皆が加わる。トビリシの外れでテクノをバックミュージックに日本人2名、グルジア人5人でどじょうすくい、何となく変であるがどじょうすくいスピリットは十分グルジア人にも通じた。その後も調子よく飛び跳ねていたら、どうもさっき飲んだウォッカが相当効いているみたいで、頭がフラフラする。その後はあまりよく覚えていないのだが、どうもデジカメに残っている写真を見る限り、小生もカリホも相当弾けていたようである。デジカメに残っていた写真からおおよその振る舞いについては想像可能なのだが、それをここで披露するのは小生の名誉に大きく関わるので避けたい。一言感想を述べれば、「グルジアは良い所である。いや、ホントに。」ということに尽きる。

 たしか、タクシーで宿に帰って死んだように爆睡した(はずなのだが、これまた記憶にない。)。