娘に何度か自分か死んだときの葬儀(やるかやらないかはわからない)に必ずかけて欲しい曲を伝えたことがある
娘は毎度忘れてるんだかとぼけてるみたいだけど...
まぁそれは10曲程度に抜粋したものだけど、
今回は自分の記憶の限り幼少期から心に刺さった曲を記録しておこうと思いたってしまったのだ
まず大昔の幼稚園時代、はっきり覚えているけど、堺正章の「さらば恋人」だ
確かスパイダースを解散してソロのファーストシングルかな?
🎵サヨナラと書いた手紙~ 🎶
良い歌だったなぁ
よく幼稚園で唄ってなぁ
小学低学年では西城秀樹の「薔薇の鎖」とか、ヒデキ大好きだった
高学年には兄の部屋から聴こえてくる吉田拓郎の「旅の宿」「落陽」「お伽草子」なんか
グレープの「ほおずき」「さよならコンサート」
かぐや姫の 「神田川」「22歳の別れ」
シグナルの「二十歳のめぐりあい」
中村雅俊の「盆帰り」拓郎が作った「ああ青春」
この頃かな、思い出した
初めて買ってもらったレコードが
なんと!田中星児の「ビューティフルサンデー」だ
何故か、ダニエルブーンの「ビューティフルサンデー」じゃなかった
兄貴のギターを借りて初めて覚えた曲がバンバンの「いちご白書をもう一度」だった
今でもカラオケで唄ったりする大好きな曲
同時期か少し後に洋楽ブームとにり、若い女性たちはベイ・シティ・ローラーズなんかに夢中だった頃
キッスに夢中になり、小学高学年でありながら少しばかりギターが弾けた私はデトロイトロックシティやハードラックウーマンなんかをコピーしてたなぁ
忘れもしない1977年、土曜日の午後NHKで放送されたキッスの武道館ライブ、あの時代は土曜日も午前中授業があり、急いで家に帰りテレビに映るキッスを観てあまりのカッコ良さに衝撃をうけたのを今でもはっきり覚えている
同時にアイドルバンド バスターとかフリントロックなんかも好きだったなぁ
中学に入った頃、ニューミュージックとやらが出てきて甲斐バンド、CHAGE&ASKAや長渕剛にどハマりしてた
兄貴の部屋から聴こえてくるライヴアルバムのサーカス&サーカスの"吟遊詩人の唄" いつかライヴで唄いたいってずっと夢みてたんだよねー
甲斐よしひろの声になりたくて枕口にくっつけて大声で唄ったりして声を枯らしたかったけどダメだった
今でも甲斐よしひろの声が1番好きだ。きんぽうげやLADYや翼あるものなんてカッコ良すぎる
結局、"吟遊詩人の唄"は実現できなかったけど、学生時代 "きんぽうげ"をバンドで唄うことができた
チャゲアスはひとり咲き、「夢から夢へ」、「流恋情歌(最近あらためて聴いてる3曲良い歌だ)」、「終章(エピローグ)」、「巡恋歌」、「祈り」なんかを初めて買ってもらったthumbの黒いアコギ(飛鳥の黒いGibsonのと似てる)で友達と2人で弾きまくってた
この頃だったか、ラジオの深夜放送かけっぱなしで寝ていた時、ラジオからふと聴こえてきた西城秀樹の「ブルースカイブルー」夢心地で聴いていたのを覚えている。
あとから知ったけど禁断の愛の詩だったのを知ったけど、良い曲だなぁ。
拓郎の 「流星」のギターソロ キッスのエースフレーリーの影響でTOKAIのチェリーサンバーストのレスポールで弾いてたりしてた
高校に入って厳しい運動部に入りながらもギターは弾いていた。
貯めた¥100000でお茶の水でYAMAHA L-10sを買った
良い音してたー 話によるとその年代は材にハカランダを使ってような話しがあるようで...
もうないんだけど
それで長渕剛の「夏祭り」なんかも完コピーしたり、
オフコース、佐野元春、浜田省吾、女々しいオリジナルもずいぶん作った
今じゃ恥ずかしくて唄えやしないな
オフコースといえば、「さよなら」、「言葉にできない」、「愛を止めないで」...
佐野元春といえば、「SOMEDAY」、なんといっても「情けない週末」だ、高校の修学旅行で友達にウォークマン借りてこの曲ばかり聴きまくってた
浜田省吾といえば、自分の恋愛と重ね合わせながら聴いたものだ
なかでもバラードアルバム 「SANDCASTLE"」 の中の「君に会えて」とか「いつわりの日々」とか「陽のあたる場所」、「愛しい人へ」なんか大学に進学してからも良く聴いていた
バンドで「マイホームタウン」や「路地裏の少年」なんかもやったなぁ
大学でなんといっても大きな出会いは安全地帯だろう
軽音楽部に入り、最初は女々しいオリジナルソングを1人アコギで唄っていたが、
待望の安全地帯コピーバントを組むことができた
なんといっても「あなたに」「風」だろうか
大好きな曲は数知れず
その間に今でもお気に入りのトムウェイツにも出会った
後編へ続く