鈴足法総師鈴木弘勝のブログ続・だいじょうぶ

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鈴足法総師鈴木弘勝の著書「だいじょうぶ」出版後に体験したエピソードや書ききれなかった秘話を小説形式で更新していきます。


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 「癌患者の治療に命を賭けた鈴足法。五千年の施術法を見直し、新たな結果を発見!!『佳子揉み』と命名した。 癌患者は病院では完治出来ないシステム。残念な結果、佳子死す」

 

 

 

 昨年十月二十三日より半年間に渡りご無沙汰をお掛けしました事をおわび申し上げます。言い訳は嫌いな自分ですが訳をお話しします。昨年十月末NPO教室の生徒でもあった五四歳の、佳子さんと言う女性が胃癌になり、胃の3分の2を摘出し、十二指腸に繋ぐべき胃の管を「菅が短いから」と言う理由で小腸に繋いだとの事。家族でサロンに通っていたお父さんから「何とか病院に治療に行って治療して貰えないですか」と懇願されて承知をしたのでした。

 

 

 北海道でも殆どの病院から呼ばれて治療に行っていましたが、東京では他の治療を受け入れない病院もあります。そこで一計を案じて医者に物も言える立場を考え、「パートナー」として遠慮なく施術出来る事になりました。本来は他の箱で嘘まで言って稼ぐ事は嫌いな性分ですが、命懸けで頼まれては仕方のない事です。

 

 

 自分は七五歳、佳子さん五四歳、お医者さんや看護師さん達が来るとパートナーとしての演技も大変ですが、そこは両方大人ですから心得たものです。東京に来て何例もの不思議な症例を出しているが、まだ日本中が驚くほどの症例を出してないので、佳子さんの末期癌を絶対完治させてやると決意したからこそ、引け受けたのでありました。

 

 

 サロンのある亀戸駅から飯田橋、南北線に乗り換え東大駅で降りて十分ほど歩いた所に名の知れた病院があります。此処まで約一時間、往復二時間は通勤にかかり、治療も約二時間を要します。サロンの患者さんの治療時間を垣間見ながら、私と3人の従業員と予約状況を考慮しながら、又はサロンの営業終了後に駆け付けたりと気の抜けない毎日となっていました。両親や親族の気配りもサロンの内情を知っているだけ大変でしたが、何にしても治してなんぼの鈴足法の治療なのです。

 

 

 この時の佳子さんの病状は、腎臓の働きも悪くクレアチニン値が8と非常に高く、透析もしていました。小水は管で流し、腹水も溜り、お腹もガチガチに硬く大きく腫れていました。この腹水は癌の塊でもありました。病院でも腹水を抜いて浄化し、又は腹水に戻していた。普通は腹水が溜まった時点で誰もが覚悟をするものなのです。この腹水を何とか完治させなければ前に進めない・・・。しかし足の経絡には何の変化も無い。

 

 

 幸いにも佳子さんは足揉み教室で呼吸法をマスターした弟子だったので、呼吸法の気功を使うことにしました。宇宙から両手で陰の呼吸を吸い込み、お腹に深く陽の気を吐き出し、溶けて無くなれと念じて続けました…。時間を考えずに治療をした結果、三日目には腹水のたまったお腹は柔く、普通のお腹になっていたのです。その結果を見て家族も、医者も驚いていました。

 

 

 それからは足揉み治療の経絡を一点一点、本当に臓器を活性化しているのか? 五千年の東洋医学の原点である脚部反射区療法の歴史を、佳子さんと毎日二人で見直し、確認しながらの治療でした。その時点て抗がん剤治療も2クール終わっていました。

 

 

 佳子さんは二ヶ月半、点滴の栄養剤だけで抗がん剤治療を受け、血液検査と称して何度も血液を抜かれていまいた。胃を手術して二ヶ月も過ぎているので食欲はある。何とか食事をして自身の身体で血液を作れればと悩むのですが、喉に食事が入ると気持ちが悪くなり吐き出してしまうので、その恐怖が酷く食事を勧める事もためわれました。

 

 

 そんな状態の患者に癌手術グループのメンバー長の医師は次の抗がん剤治療を勧めに来る。痩せほとり誰が見ても抗がん剤治療に耐えられる体力はない。本人いわく家に帰っても両親も、一緒に住んで居る叔母も八七歳となっており、迷惑を掛けるので病院にいたいとの事でした。 しかし、NI病院の経営方針としては栄養剤の点滴だけでは入院させておく訳にはいかないと言うのです。抗がん剤治療をしないのであれば、他の病院を探すか、家に帰って医者に来て貰うか、自宅療養などを迫っていました。本人も胃の手術が成功していればこれ以上の抗がん剤治療はもうしたくないと断っていました。チーム長は病人の身体の心配よりも100%の抗がん剤治療を何度も進め、影では親族を納得させようと、躍起になっていたのです。

 

 

 東洋医学、五千年の経絡を見直し、呼吸の陰と陽の法で活性化、又は非活性化と言葉では現わせない大変驚く実体を示したのである。活性化するのと、非活性化は雲泥の差であり、佳子さんの命懸けの協力から産まれたものであり、この治療法を【ヨシコ揉み】と命名する事を約束した。

 

 

 後に学会に発表するとして、取り敢えず自分の協会グループ、NPO教室の皆さんに実態を把握しながら全ての経絡治療法の見直しを教示した事は言うまでもない。 頭がおかしくなる程の大事件となった。癌患者の治療はこの法を以ってすれば癌は全て完治出来ると確信を得ていましたし、アメリカ国連本部で、癌治療を授権されている若石健康法の中でも一番乗りとも考えていました。

 

 

 十二月末、毎日決まった電車に乗り北海道の田舎者も都会人になった感じをしていた。この頃に成ると、8もあった腎臓のクレアチニン数値が0.8まで下がり透析の治療はストップする事になりました。本来、透析を止める事は有り得ない事とされています。

多数繋がれていた菅もいくつか外れ、小水の菅も外れ、自力でトイレに行く事が出来る様になり、食事もかんで汁だけ啜る迄になっていました。この時ばかりは家族と一緒に泣いてしまいました。

 

 

 バ~ンと固く張った腹水のお腹も奥に少しの塊が残っている程度。沢山付いていた菅も鼻から胃腸に一本入っているだけになり、足揉み治療は痛いが佳子さんは頑張って耐えていました。

二か月半栄養剤の点滴しか取って居ないので、身体は痩せこけていましたが、生命力だけは凄い!パートナー兼主治医として今日も元気でいるかと、病室に入っていく毎日、この頃になると治療している時に必ずと言って良い程、病院のチーム長始め何人もの医者達が相当の時間を伺いながら過して行く、(元気だねー)とか(薬が効いているんだね)とか、佳子さんもご両親も口を揃えて「医者達も何で治っているのか、解っていても言えないんだよ」と言っていました。

 

 『 緩和治療 』

 正月間近、お父さんと一緒に歩いていたらチーム長に部屋に呼びこまれた・・、『娘さんの事ですが、緩和治療を考えては如何ですか、後持って一月位でしょう。』「緩和治療…って私達は何もそんな事、考えていませんよ」

 「チーム長さん、緩和治療と称してモルヒネを与えて楽にして、見送れと言う事なんでしょう?どういう事なんですか、胃癌を切り十二指腸に繋ぐべきものを菅が短いからと、小腸に繋いで、食事が出来ない状態でいるのに、その間違った手術を考えるでも無く、あなたは尚も抗がん剤治療を進めていましたね、その胃癌を切った後の状況を調べて欲しいと頼んでも何もしないで、いきなり緩和治療とはどう言う事ですか、モルヒネを投与したら一五日~二〇日で死んでしまうでしょう!」 『今のモルヒネはそんな事ありませんよ』 「自分も今迄沢山の患者さんを知っているから言うんですよ! お父さん佳子さんは病んでいる訳でも無いので、緩和治療は止めた方が良いですよ、親であろうと一分一秒命を短くする事は罰当たりになると思うよ」「そんな事…緩和治療なんか考えていないよ…」 『そうですか、分かりました』

 

 

 自分も今迄言葉を発しなかったが、堰を切った様に口をはさんでいました。パートナーでなくても当たり前の事であったと思うのです。こうして癌患者の命は言葉巧みに捨てられて行く、これが病院経営の一貫なのであります。帰り道,虚ろなお父さんの曲がった背中を支える気持ちで一杯になった。

 

 

 正月、義父の正月の供養もあったため、一週間の休みをとり十二月三一日に東京~自宅の釧路に戻りました。佳子さんの病状の治療を指示し、毎日遠隔操作で気を送る約束をして、後髪を引かれる思いで旅立ちました。 休みも終わり、一月八日勇んで病院に駆け付けたところ、佳子さんの様子はさらに痩せていたが髪は老廃物を流す治療をしているので抜けてはいない、医者も誰の言う事も信じておらず、パートナーの言う事しか聞かなくなっていた。

 

 

 しかし、食事が出来なくなっており、栄養剤をプラスしていました。血液検査の採収も拒んだ、そんな中でも施術を好んでいた。精神的にパートナーとして一体感になっていたと感じる…。この頃になると、何人かの癌患者の治療を各有名病院から頼まれ、治療に行く事になって居た。この時はサロンの店長、中野泉に因果を含めて交代を頼んだ、初めての病院治療の大変さを語っていた。三月、佳子さんは九階の個室から八階の個室に移り、何日もせずナースステーションの前に移された。この頃になると小水も自力で出来ず、再度管を通され、骨格だけの身体は、長い間のベッド生活から床擦れを起こして病んでいました。

 

 

 看護師さんが痛み止めを入れたから痛くないでしょうと言った。足揉み施術に入った途端、衝撃を受けた⁉足の裏からジトジトする水分が匂いを発して手に残る…。やられたー、もう仕方ないのか…床擦れで苦しいだろう…。びっしり看病に付いていた叔母さんから、『先生奇跡を起こして―』と言われた、「モルヒネも投与されているし、もう方法は無いので今日から揉み方を成仏揉みに変えています。特に安らかになる様にね…」顔も頭もエステマッサージをして身体全体もケアして帰って来た。佳子さんの喜んだ顔が今も脳裏に映る…。

 

 

 残念だが精魂込めて遣るだけの事はやった、この報いは天上界に行っても縁は繋がっていると信じていた。翌日の朝、電話が鳴った、「今佳子が息を引き取った」と。すぐさま病院に駆け付けた。母と叔母がいた。父は透析で別の病院との事。朝二人で顔を出し、「佳子来たよ」と声を掛けたら眼で相槌を打ち、眼から一条の涙を流し其のまま静かに息を引き取ったと言う…。

 

 

 看護師さんが化粧もしたのであろう、素晴らしい服を着て、化粧した顔は眼を見張る天女の様でした。老いた両親を残し、先に逝く自分の宿命を嘆いた一条の涙であったのであろう…。

 

 

 【 葬式 】

 四日後にお通夜、その翌日告別式と参加をさせて頂き、葬儀挨拶の中に鈴足法の鈴木先生には本当に佳子が世話になったと、幾度となく語られた。ご両親の真意を心から受け止めていました。お骨を拾う家族の中に入れられて一緒に佳子さんの骨も拾わせて頂きました。佳子さんはスーパーエンジニアであった、電磁波で身体を壊し、その後歌手を育てる先生であり、凄い才能がある人でした。葬儀中も自分が歌っているCDが流れていました。

 

 

 『健康になったら足揉み健康法に命懸けで頑張り、全面的に力にならして下さい』と言っていたのもあり、楽しみにしていたのに、先に逝っちゃって本当に残念です。又一人仏前に供養する人が増えて大変です。時は一時です又、其方の天上界で一緒に健康法の勉強をしましょう。【ヨシコ揉み】貴女の功績はこの社会に立派に残りますよ。長い間本当にご苦労様でした。

 

 実はこの一か月、精魂が尽きたのか、気力が高まらず今日に至り、佳子物語をブログにと聞こえ、書き記している内に、鈴足法の生命力が燃えて来た次第です。ありがとう。そしてさようなら!

 

 

                                              平成三十年 四月二六日(木)

                                                    東洋医学 若石足心道  鈴足法協会  総 師

                                                    特定非営利活動法人 足揉み健康研究  理事長

       

                                                                         鈴 木 弘 勝 

 

 

 

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