みなさま こんにちは
東京は今日も暑いです
暑いなら汗をながして、老廃物を出せばよかろう(熱中症の予防に麦茶と塩飴は必須)
で、今日は昔話。40ウン年前の出来事。
うちの実家の前には線路があって、そこ坂なのね。
母が運転免許とりたてで、3人の子をのせた車でその坂をのぼって、ちょうど踏切の上でエンストしたときがあったの。
マニュアル車だから、坂道発進はエンストしやすい
ちょうどそのとき踏切がカンカン言い出して、遠くから近づく汽車が見えた(田舎には電車はありません。ディーゼルです)
たぶんわたくしは4歳くらい(ってことは兄は6歳。弟は3歳だやな)
汽車が近づく
車は止まってる
「車を出て逃げたら、命は助かるかも?」と幼いわたしは思った。
とそのときエンジンがかかり車は動きだし、汽車と衝突することなく踏切から出ることができた。ほっ
ってゆう昔話を2年前に実家に帰ったとき、母としました。
『何かに生かされている』と感じた。
と母は言ってました。
わたしはそのあと高校生のとき教会に通い洗礼を受けたり、摂食障害になったり、禅宗に興味をもったり、神社巡りを趣味にしたりして、そして神秘体験を経て今スピリチュアルを学んでいるのですけれども。
で、この人生の中でずーっと感じていることが、この世界には見えないけれども大いなる存在がいらっしゃるのだということ。
そして、その大いなるモノというのが神(またはアッラー、メシア?キリスト?)と呼ばれているんだと思う。
その大いなるもの。宇宙の創造主。
それだけが私たちの信じるものであって、それ以外の偶像崇拝(というか救世主思考というか、だれか能力者に頼るとか)は邪道だとわたしは思っています。
そして、スピリチュアルという世界で学ぶこととは、それぞれが自分の内在神を感じながら、どう神として生きるか。内側の映し出しが現実世界だと認め、そして経験を通して何を学び魂を磨くのか。
今はスピリチュアルというのが身近なものになってる時代だと思います。
でも、数十年前のように、だれか霊能力のある人に何かの答えを教えてもらうという、依存的なスピリチュアルはこの時代の逆をいってると思います。
だれにでも自分のことを守護してくださっている存在がバス一台分いらっしゃいます。その守護存在たちを頼り、そして自分自身が宇宙とつながって直観を働かせ、神として生きていく時代だとわたしは思っています
今日もお立ち寄りいただきありがとうございました
また明日