はい。その3です。
お暇だったら その1その2 も読んでって~にやり  お ねが いキラキラ





いかなる難行苦行も、神仏のためではない。自分のため

そこに自分を含まぬ博愛も人類愛も、すべては偽者です。

自分を大事に思わず、自分を「つまらぬもの」と思うような行為は、何であれすべてニセモノです。
自分をしっかり生かすことができないなら、他者を生かすこともできない
 

 

 

 

はいにやり

 

まず、自分が幸せであること。
自分が満たされたあとに、溢れ出た幸せを周りへ配ること。

 

これが大事。

 

つまり、毎日上機嫌でいることは、義務なのです。

 

だってさ、

自分が幸せなら、まわりに幸せを分けてあげられるじゃんにやり


人生とは、「生きているだけで十分」であり、
そもそも、本当の目的は人生という旅自体。

人生の「花の瞬間」だけを生きがいと思うのは間違いで、
幸せとは何か、と特定する必要はない。

 

架空の夢を追い求め、今、目の前にある幸福に気付かないこと

これが人間の愚かさ


すでにあるものに対する感謝の祈り

それが祈りの本質なのです。




龍神さまへの信仰で養われるのは、「今持っているものに感謝する」豊かな心。

これがなければ、どこまでも「欲しい欲しい」の餓鬼道の心となり、幸せは程遠い。
 

 

 

 

感謝の心があればよい。




つまり毎日、

いろんなことに感謝してれば、自然とうまくいく(そーゆーこと?うーん




そして、この本で新しく学んだことにやり

龍神さまの多くは「実類」の神霊です。


つまり、我々人間と同じように、感情を持った存在。喜怒哀楽の感情を持っている
我々と同じように欲もあり、お酒やお菓子をそなえたりすれば、それを喜ばれます。
心尽くしをすれば感動もします。

龍神さまは、如意宝珠を慕う存在といわれているので、
自宅に祀るときには、水晶でつくった宝珠を如意宝珠にみたててお供えする。

なお、龍神さまは水の神さまなので、毎朝一杯の清水をお供えすることを、何よりも忘れないこと。



ほーうにやり

だから、わたしは毎朝 神棚にお水を供えているわけだにやりにやりにやり

 


一体全体、なんで高次の世界

つまり、宇宙(ユニバース)が水を必要とするのだ?

すべてはエネルギーであるなら、水を供えるというのはナゼ?って思ってたけど、
やっと腑に落ちたわにやりにやりにやり

 

 

 

 

 

 

ところで、さ

 

「あなたに龍をつなげます」
↑これ系のイベントとかセッションってよく聞くね(わたしだけ?うーん

ほら、神社に参拝するツアーとか、セッションとか。


スピ界探検し始めのとき、こーゆー龍さんとつなげてくれるってゆーの

実は、ちょっと信じちゃいそーになった時あったのねショックショック

たしかそのツアーは9万円くらいで、

わたしにとっては結構な金額だけど払えないわけじゃない。
だったら龍さんと繋いでもらいたいなラブ
そう思っちゃった時があったの(なんと単純で浅はかな考えショック


で、

そのとき受け取ったメッセージがあって

(あれはいつだったかな?2018年の9月?10月?)

「我々を金儲けの道具にしようとする者を信じるでない龍



まー、龍先生、お怒りでしたよ(たぶん)

わたしはそれ以来 一切そーいった龍つなぎ系は見ないようにしてる

(誘惑を受けないためにね)

 

 


この

「霊能力のある人に頼んで、龍神さまに守護神になってもらう」

 

このことについても、この本では言及されてて、


自分の欲望だけで神さまについてきてほしいといっても、

そういう考えについてくるのは、物ほしい邪霊の類でしかない


守護神が守るのは、その人が良くなれば、周囲も同じく良くなる。

 

つまり、その人を助けるだけで

 

ほかの人も利益できるような願を立てた
志のある人のみ



いくらお金を払おうが、自分一人の欲願のためにその人の守護神についてくれる神さまなどいない

龍龍龍




そーだ、そーだ。にやりにやり



そして、

「神は非礼を受け給わず」という言葉がある。

仏というものは、慈悲のゆえに感情には支配されない徳というものがあるが、眷属は仏ではない。


本には、ご眷属さんが怒るとコワいよーというお話もありました(ここは割愛)



以上、本日の学びでした。

にやりにやりにやり


なんだか長くなってしまってゴメンナサイぐすん
いつも読んでいただき、感謝しています^^



林泉花(りんせんか)

 

↑榛名神社の龍先生ラブ