大塔のまわりでは、世界に散らばる敬虔な仏教徒の方たちが、真摯な礼拝を繰り返しておられました。
この頃になって、やっと葬儀の司会者が「らいはい」と案内してくれるようになりました。以前は「れいはい」って、やってもうて、教化の不行き届きを思い知らされたものです。
禅道場での礼拝も、隣の仲間との競争でした。さすがに最近は、お腹のあたりが邪魔をしてそのような敏速な動きはとうてい無理なことですが、はたから見ていれば、その方が、ありがたみがあって、いいのかも知れません。昔から言われています。「医者と坊主はひねがいい」とは、このことなのでしょうか?!
何れにせよ、軽視しがちな「礼拝」をブダガヤの人たちの姿に反省させられたものでした。