前に、4tトラックの運転手をしていた。

朝くると、荷物はエリア別にたくさん置かれている。

配達するエリアの荷物をかき分け、トラックの荷台に詰め込んでいく。

基本は、配達するエリアの回る順番と逆の順番で詰め込んでいく。

つまり、最初に回るエリアの荷物は、最後に積む。

勤めていた運送会社は、タイヤ、土管、木材、大型高級家具、工業機械、自転車、瓦、食品、ワイン、ふとん、サッシ、鉄筋、エンジンなど、もう何でも運ばされた。

この種類がバラバラの荷物を、2tや4tのトラックにうまく周れるように積まないといけない。

四角いダンボール箱は、全体の荷物量でいえば、何分の一しかないのでテトリスより難しい。

トラックで走っている間に荷物が崩れないように、荷物と荷物でビシっとキメておかないと、後ろの扉を開けた瞬間に、荷物が上からなだれのようにドサッと振ってくる。

もちろん、ちゃんとつまなくてもOKだ。

その分、効率がかなり悪くなり、昼休みがなくなり、帰りも遅くなるだけ。

ただ、このハードな仕事に昼休み休憩がないのは、めちゃしんどい。

朝6時半からはじまり、別の支店に積み込み手伝いの応援に行かされる時は、晩の11時半まで仕事がある。

なるべく早く終わってラクをするには、配達ルートや荷物の積み方、伝票整理などあらゆる面でシュミレーションして事前準備をして効率化しておかないと、あっという間に時間が過ぎてしまう。

仕事を早く終わらせるためには、走りながら考えるんではなくて、走る前にちゃんと考えて、事前に準備できることはできる限りしておく。

でないと、とんでもない目にあう。

早く終わらしてラクをする、そのためにしっかりとシュミレーションする。

シュミレーションしないと、遅くなってしんどくなるだけ。

休憩時間は、ご褒美だ。

トラック運転手の経験は、本当にいい経験だった。


学校は楽しい。

教師として、22年ぶりに舞い戻った母校。

学生は変わった? 確かに変わったけれど、やっぱり変わってない。

若者はやはり、素直だった。

大人の顔色をみて、若者も、自分を押し殺していただけなのだ。

大人が勇気を出して声を上げれば、喜んで若者はついてくる。

そんな大人を、若者は待っているのではないだろうか。

自分は教育実習を終えて、なんか分かったことがある。

大人が、元気がない。

だから、若者も元気をだしにくい。

最近の若者は・・と責める前に、大人よ、己が元気を出せ。

若者は、大人の背中をしっかりみている。

若者は、大人のうそをちゃんと見抜いている。

素直な美しい心を、がっかりさせるようなことは絶対にしてはならない。

大人が常に自分を磨こうとしていれば、それが一番のメッセージとなる。

大人よ、あきらめてはいけない、死ぬまで生きなきゃいけないのだから。

夢をどんどん実現し、輝きまくって闇を照らす、偉大な光になってやる。


小・中・高校は、指導内容があらかじめ法律で決まっている。

憲法で学問の自由が認められているのは、大学だけだ。

授業は、あくまで、教科書に沿った内容を行うことが基本である。

これがまた、つまらない。

そして、このつまらない内容をいかに楽しく意義ある授業にできるかは、教師の力量にかかっている。

教師自身に、相当な経験値がないと、すこぶるつまらない授業をやってしまうことになる。

生徒が寝てしまうのは、教師の力不足以外何もない。

大学を卒業してすぐに教師になるより、一旦、いろんな世界を経験して教師になるほうが、教師自身が仕事をたのしめるんではないかと思う。

それで、教師が自分の仕事を楽しんでいると、生徒も余計に学校が楽しくなってくる。

生活のためだけに教師をするのは、生徒に対して大変失礼だ。

教師は聖職だとよくいわれるが、安定的な生活費を稼ぐために教師を選んで、しかたなく続けている人がとても多いような気がする。

情熱、夢がない。

夢のない、情熱のない、目標のない教師から、生徒がいったい何を学べるというのか?

教師であるということは、自分の生き方を堂々と生徒に示せるということ。

「私はこういう風に生きている。それが私だ。」と、まずちゃんと話すことができるだろうか。

そういう教師をみて、生徒は各自、学べるところは学び取っていくのだと思う。

教師が、生徒に何かを教えるのではない。

生徒は、教師のあり方を見て、何か大事なことを自分自身の中から引き出すのである。

常に自分を向上させる意欲のない者は、教師をする資格なんかない。

教師も発展途上の人間である。

そんなことは、生徒もちゃんとわかっている。