こんにちは ( ̄ー ̄)
今日は
昔の友人の話を書こう
彼女とは1年間だけ
同じクラスだった
とても多感な年頃で
もう1人の友人と
3人で
難波の街をうろついた
全国的に知られる
引っかけ橋では
丘サーファーと
呼ばれる男の子たちが
手当たり次第に
女の子たちに声をかけ
有り難いことに
私たちも
ご多分に漏れず
声をかけてもらえた (*≧∀≦)
とはいえ みんな
彼氏がいたので
ついていくことは
無かったけどね
そんないわゆる青春時代を
一緒に過ごした彼女だが
卒業後は
年賀状のやり取りだけで
会うことも
なくなっていった
その後 私たちは
ほぼ同時期に結婚し
ほぼ同時期に
最初の子供を産んだ
そして
私は2人の子持ちになり
彼女は
4人の子持ちになった
当時は写真付き年賀状が
流行っていた頃なので
私も彼女も 会うことは無くても
お互いの幸せを確かめあった
お堅い職業のうちの旦那と違い
彼女の夫は自営業なので
バブルの頃には
とてもバブリーな
海外旅行の
家族写真付きが多かった
お正月に書いた
ブログ記事ではないが
あの頃の私は
独身の友人にも
悪びれもせず
幸せオーラ全開の
家族写真付きの
年賀状を出していた
そこに悪意はなかった
…とはいえない
当時の日本では
25歳を過ぎると
売れ残りの
クリスマスケーキと呼ばれ
結婚しないことは
負け組の象徴
そんな独身の友人に
家族写真付き年賀状を送る行為は
幸せオーラ フルスロットルの
マウンティングに他ならない
旦那と死別した今になって
申し訳なかったなぁと思う
話を戻そう
で 彼女はその後
最初の子供を交通事故で亡くした
死別の悲嘆の中で
最も激しい悲嘆を彼女は味わった
親との死別は
過去の喪失
配偶者との死別は
過去と現在の喪失
子供との死別は
過去現在未来の喪失
彼女の悲嘆は それはそれは
とても激しいものだった
そりゃ そうだ
配偶者を亡くしても
それが原因で
子供と縁を切る人は
まずいないが
子供を亡くした場合には
それが原因で離婚する夫婦もいる
彼女の場合
離婚には至らなかったが
それは加害者という
敵がいたからで
共通の敵がいない場合には
その激しい喪失感を
ぶつける敵を
探し始めてしまうだろう
成人した子供の場合には 職場での
過労やストレスに矛先が向かい
結婚した子供の場合には
妻の健康管理に矛先が向かう
そうしなければ
心を保てないからだろう
また 横道にそれてしまった
話を戻そう
当時は
携帯が普及し始めたばかりで
固定電話にかけることが多く
電話をかける行為を
他人の時間を奪う“電話野郎”と
揶揄することもなかったので
私は彼女の悲嘆を電話で聞き
私なりに慰めたつもりだった
彼女はその後
もう1人子供を産んだ
亡くした子供が
生まれ変われるように
それから
時は流れ流れて
年賀状を出す時代は終わりを告げ
メールやラインへと変わっていった
彼女とのやり取りも
年1のメールやラインに変わった
2017年初春に 旦那が亡くなり
彼女にも ラインで知らせた
その後
彼女から電話がかかってきて
私はボロボロに泣きながら
いかに寂しく辛いかを語った
彼女は死別の先輩として
1時間以上 私の悲嘆を聞いてくれた
そして
最後に彼女はこう言った
やっと分かった
とね
22年間 彼女はこのチャンスを
待っていたのかもしれない
そう思うと怖くなって
昨年も今年も
彼女のラインを
シカトした
そして
今 私は待っている
死別後私に上っ面の慰めや
励ましをした人たちに
やっと分かった
と言えるチャンスを