就職氷河期の頃に
関西の大学を卒業した長男

「転勤は大丈夫ですか?」
と就活で質問されれば

NOと答えられる時代ではなく
YESしか選択肢はなかった

就職して9年目だが
引っ越しを伴う異動が何度もあり

旦那が亡くなった頃には
長男は四国にいた

看護師に明日か明後日と告げられ
慌てて長男を呼んだ

私も長男も焦っていたので
喪服のことを忘れていて

思い出して電話をした時には
既に高速道路を走っていた

旦那がまだ生きている時に
「喪服の用意を」と伝えるのは
とても悲しく辛かった

取りに戻るとフェリーに乗れない
結局 長男は喪服をレンタルした

旦那が生きてた頃
私たち夫婦は よく旅行に行った

手術後に長期休養してた頃には
長男宅を拠点にして
夫婦であちこち廻った

1週間泊まった時には さすがに
「もう帰って」と言われた (^^;

あの頃 意外と楽しかった
手術してもガンが治る訳じゃない

骨転移は他にもあって
何度も手術する訳にはいかない

放射線は拒否していたけど
やっていたとしても

それだって許容量が決まっていて
何度も出来る治療法じゃない

タイムリミットが
じわじわと迫っていた

それでも 一度目の術後の10ヶ月は
神様が与えてくれた思い出の時間

            〈高知県  明神丸〉

あの時食べた鰹の塩たたき
最高に美味しかった

最近のショッピングモールにある
似た名前の店と間違わないでね

全然味が違うから!

他のお客さんたちが注文してる
「はらんぼ」って何だろ?

興味本位で注文したら
血あいの部分を焼いた物だった

旦那と二人で
面白がって食べた
             〈愛媛県  米屋〉

レトロな街並みの内子町

奈良県の今井町や
三重県の関宿に似ている

この写真は 旦那が亡くなった後で
長男と再び訪れた時に撮った物

旦那と座った席が空いていて
そこに長男と座った

ワサビがツーンとして
涙がじわっと滲んだ