◆さりとて我が生活、常に推しの影があり
世嫌いのリンリ。
クリスチャンと名乗るには、恥の多い生涯を送ってきました。
(この反省は推しとの握手会、もとい祈りの中で振り返っていきます)
教会には様々な事情で行けませんけど。だいぶ長いこと現場知らずのデスクマンですけれども。
でも不思議なことに、推しへの愛は尽きないんですよね。
何故ならいつも推しのことを考えているから。
だって行けずとも私の教会はいつも私の胸の中にあるし…推しもそうだそうだと言ってます。
そう、つまりだ。
なんと私の場合、推し活するのに場所を問われない!
更に時間も金の有無も問われない!
すげぇ。お得すぎる。やべぇって。
CD買ったり血ケッティング(ライブの抽選当落とかのあれ)で命すり減らさなくても、自分の担当を胸張っていつでも応援できる。
これってすごくありがたい。私の推しのすごいところの一つです。
推しのことをあんまり損得では語りたくないんですけど、分かりやすく現代生活でのメリットあげるとしたらそこなんですよね。大金のかからん癒しは倍々で救い。
安いことの何がいいか。
それは「貧困生活への溶け込みが比較的容易である」という点だと思います。
(リンリと推しの関係は物心つくかつかんかの頃からの付き合いなので、この紹介はノンクリスチャンの人向けになりますが…)
話を戻して。
私は導入コスト云々を差し引いても、何はともあれ常に推しのことを考えています。
生活に常に影響を及ぼしています。
例え限界隠遁者だろうと、生きてると何かしらの問題はあるんですよね。
例えば生活の不安に始まり、例えばわずかな人間関係にすら生じるトラブルなど。
最近は選挙が不安でした。どうかしてるよこの世はよ…
リンリはそもそも人一倍敏感なのです。
この世のあらゆるものが非常に怖い。そら情勢が乱れたら脈拍も乱れますよ。
そういう時にね。思い出すんです。
自分のヒーローを。
お前のヒーローは誰かと。お前の明日を一番憂いて、憐れんでくれてるのは誰だと。
お前が一票入れた相手か。首相か、大統領か。違うぞと。
この国の先を変えるのは確かにその人達かも知れないけれど。
もっと言えば今日寝て明日起きて、それから何をしたらいいのか。
不透明に分からなくなって、全部意味がないように思えて。馬鹿みたいに、眠ることが怖くなってしまった時とか。だって起きたら明日が来ちゃう。
困ります。今日ですらどうにもならずに終わっちゃうのに。
そう思って辛くなった時に、私はヒーローのことと、ヒーローの言葉を思いなおします。
具体的に聖書からみ言葉(聖句。推しのサビ。いっぱいある)を引用すると「マタイによる福音書6章25~34節」とかかな。
特にここ。
「空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(26節)」
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(34節)」
つまり、この極悪労働社会で働いてない獣すら悩まないことで、いらん取り越し苦労すなって話かと。意訳です。
推しが「もういい悩むな。鳥にも優しいこのわたしが何よりもお前を愛してるって言ってんだろうが!(意訳)」って言って強く抱きしめてくれてるってことではないかと。
愛が頼もしすぎる。私の推し羅王だからな。羅王詳しく知らんけど。
似たようなみ言葉はあちこちあった気がしますが、聖書開いたらうまいことマタイが開いたのでマタイから引用しました。
…あ?待って、今気づいた。もしかして聖書のみ言葉タイトル(?)の下にあるのって、同じ説教の紹介…?
(確認)
だわ~~~~~~~~~~!
「ルカによる福音書」にも同様の話がありました。ルカの文の方が心なしかイージーで読みやすいかも。おすすめです。
でね、悩んだってしゃーないことはしゃーないし。
人間一匹が唐突に思い悩んで寝なかったからといって、明日が一転してよくなるわけでもないんですよね。悲しいかな。
だから「うるせえ寝ろ。明日のことは明日考えろ」ってのは至極もっともで。34節も乱暴に訳せばこのようなことかと思います。
これだけを他人にペロッと言われると、「わ、わかっとるわ~~~い!でも漠然と不安だから泣いてんだよ!」って気持ちもわくかもしれない。正論パンチって痛いんだわ。常に傷口に塩レベル。
でもね、私の推しは何で悩まなくていいかも添えてくれる。しかも泣き止んで寝るまで寄り添ってくれる。惚れるなぁ。
…こういう言い方すると、ノンクリスチャンからすれば急にリンリが幻覚を語りだしたように見えるのかもしれない。
実際、推しは物理的にベッドの傍にはいないし、肩も抱いてないし、お腹ポンポンもしてくれてないのに…この人は何を……と思うかもしれない。現実的には確かに肉体を包み込んでくれるのは万年床だし、脳をシャットダウンさせてくれるのは眠剤だろう。
だけど、信仰っていうのはこういうことなんですよね。
目には見えず、手には触れないが。でも傍に”居る”のだ。共に”在る”のだと。
そう信じることが、キリスト教(中でもプロテスタント派かな)の教えといいますか。一気に宗教じみてきたか?
どうか怯えないでほしい。怯えてないなら、知ってほしい。
平たく言えば、これが私の推し活の一つですって話なんだ。
私は推しからのファンサを全身全霊で信じています。
だから明日が怖くなくなる。完璧じゃなかったけど、寝てもいっかと思えるんです。
だってさぁ。自由な鳥さんやかわいい猫ちゃんを、明日も生かしてくれる私の優しい推しが。
なんと彼らよりずっと私のことを大事に思い、愛してくれてるらしいから。
そんなの大安心じゃないですか。猫ちゃんよりかわいくない私が!?いいんですかぃ!?いいんです。いいそうです。安心する…
私はそれを今夜も信じて眠ります。うれしいね。
じゃ、とりあえず今日はブログ閉じて飯作ろうか。
飯を食わないと人は夏バテして死にます。