こんばんはビックリマーク勇子です勇


本日の『太陽のシソーラス』では・・・


『祖父母の有り難みを考えてみよう。』


ということでしたラブラブ


そうですね、

私を生み育ててくれた両親

そして

その両親を生み育ててくれた両祖父母


この4人が存在しないことには

私は生れて来なかったかもしれませんね。


そして、大勢の人の中から

縁あって出会い

育てはぐくんでくれたこと


ここに在ること



心から感謝します。



勇子の勇気の森もり♪




祖母が数え年百歳で、寿命を終えし時

ちょうど1週間目に

東京の帝国ホテルで、

ShinJin様にお会いする機会がありました。


その日、私は東京へ向かう前に実家により

祖母の祭壇に向かって

「おばあちゃんも、一緒に東京に行く?」

と声をかけました。

ふふふっニコニコ


1週間目だったので

まだ、おばあちゃんはそのへんにいたのでしょう

ほんとに、帝国ホテルまで一緒にいけたようでした新幹線


会場からドアを隔てたむこうに

祖母が来ていると教えていただきました。


そして、その時の祖母からの言葉をお伝えいただくことができたのです目


「生きているということのすばらしさ」


亡くなったからこそ、生きているということが

どんなに素晴らしいかがわかった

そのことを伝えたい。


ということでした。


私の祖母は亡くなる前しばらく

寝たきりで家族の世話になっていました。

食事や着替え、排せつの始末など

家族に迷惑をかけて生きているのが

つらく、申しわけなく・・・

「早くお迎えがきてくれたらいいのに・・・」

というのが口癖でした。

そんな時、私は

「おばあちゃん、一番誰に迎えに来てもらいたいん?」

といじわるに尋ねると

「そりゃ、お母ちゃんや!」と言ってました。

私が「やっぱり、お母ちゃんがええんや?」と確かめると

祖母は「ほりゃ、お母ちゃんがええ!」と答えていました。



祖母は、家族のことを気遣ってか

食事や水分も必要最小しか摂っていないように思えました。

食欲もなく、耳も遠かったので、テレビを見る楽しみも薄らぎ

いつのまにか、生きる意欲を失っているかのようでした。



「はよう、死にたい」という祖母に

「そんなことゆうたら、もったいないで」とか

「生きたくても、生きられない人もおるんやから」とか

「生かされてるということは、何かこの世で役に立つ事があるっていうことなんやから」とか

話して聞かせても、それは気休めにしかならず

それでも祖母は、

「あんたがわたしのおかあちゃんみたいやなぁ」

と言って、身体の調子の良い時は、水戸黄門のような笑い方で笑ってくれていました。


実際、私は、寝たきりになった祖母からもたくさんのことを学びました。

ただ、寝ているだけのやっかいものじゃないラブラブ

おばあちゃんは、私や、ひ孫達に

形のない、見ることはできない

いろんなものを与えてくれていたのです。


でも、本人は、食事をしようという気持ちもなくなってきているような状態でした。



しかし・・・



お正月を迎え、しばらくすると

ご飯も食べる、食べる目

生きようビックリマークという意欲が満々の状態に変わったのですひらめき電球



1月の在る日のこと、母が

「おばあさん、今年の誕生日がきたら数えで百歳やで」

と話したところ、意識がかわり・・・


『百歳の誕生日まで生きたい』


そんな夢が、祖母の生きるためのモチベーションに

スイッチをいれたのでしたスイッチオンアップ


すごいですねぇ!!


人間って、何歳になっても

夢や目標をもつことが大事なんだな

ということも、祖母から学びました目


そんな祖母からの

今生きる人々へのメッセージ手紙


『生きている』こと自体がすばらしいのです恋の矢



今ここに生きていること


今ここに在ること


それだけでHAPPYですねakn



勇子の勇気の森もり♪



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