生い立ち | 〜それぞれの幸せへ〜

〜それぞれの幸せへ〜

『幸せの種』それは人それぞれ。
ゆるゆると日々のことを発信していきます♪

何かのヒントになれば嬉しいです^ - ^

小林かおり



(社)パワーストーンカウンセラー協会認定講師、パワーストーンマスターカウンセラーの小林かおりです。

 
過去がどんなだとしても、今がどうあろうと、人は変われる


私自身がどういった想いを持って講師やパワーストーンマスターカウンセラーをしているのか、
つき動かれれるように動いているのはどうしてなのかをお話しようと思います。

私がどんな経験をして、そこから変わったのかということを。

興味のない方はスルーしてくださいね。


生い立ち
私は実の親の顔を知りません。
都内で生まれてすぐに、養父母のいる愛知県にきました。
実の親にはこれまで会ったこともありませんし、実母は亡くなったと聞かされています。


私を引き取ったとき、養父母は共に40歳。私以外に子供はいませんでした。


養父は地元の鉄道会社の社員。真面目な人で、私をとてもかわいがり、仕事で疲れて帰ってきても、小さい私と遊ぶ時間を大切にしてくれたのを今でも思い出します。


養母は家で内職をしていましたが、時代背景なんかもあったのか、仕事部屋で朝からミシンを動かして忙しくしていました。


私のおしゃべり相手は母方の祖母。心臓が悪く寝たきりでしたが、私が1日の出来事を話すのを相づちをうちながら聞いてくれていました。幼稚園に入る前の冬に帰らぬ人に。


それ以来、私が1日の出来事を話す相手は誰もいなくなって。


養母に泣いてすがったことが一度だけあります。
それでも仕事だからと置いていかれて以来、私が養母に甘えることはありませんでした。


人間関係の土台というか、1番身近な家族との絆や母とのコミュニケーションが充分でないまま、小学校、中学校生活を送りました。


今冷静に考えれば、誰が悪いわけでもないんですよね。ただ、真剣に私と向き合ってくれる人がいなかった。。養父母なりに私を愛そうとしてくれたのもわかるんです。悲しいかな、その愛は物を与えるという表現方法でした。。



小さい頃は理解できなかった、自分の中の闇。
常に孤独の中にいました。周りの友達にはない自分の闇を子供ながらに感じていて、「周りの友達は楽しそうなのに、私はちっとも楽しく感じられないのはなんでだろう?」


私は何のために生きているんだろう???


そんなことを小学生の頃から考えている子供でした。


ぎゅっと抱きしめてほしかっただけなのに
安心の中で眠りたかっただけなのに
さびしいから、私をちゃんとかまって!って言えばよかったのかな?



心の闇が私に重くのしかかってくるのは30代半ば。10代後半から20代前半まではいつも誰かを好きになって、誰かを想うことで自分をごまかしながらいたように思います。


24歳で当時付き合っていた彼と結婚し、婿養子に入ってもらい、26歳で息子を出産。
子育ての不安はいつも。可愛い息子にどうやって愛情を注いでいいのかわかりませんでした。


いえ、そもそも私に与える愛情というのがあったのかどうかも定かではないですね。
当時は色々自己嫌悪でした。いつも不安が付きまとう。


心はいつも揺れていました。持ちてのいない凧。風に吹かれればどこかへ飛んでいってしまう。
そのうちに重りをぶら下げて飛べなくなる。


当時の私はそんな感じでした。


ゆらゆら揺れて、ふとした瞬間にものすごく寂しくなる。私を掴んでくれる人は誰もいない。。


そんな私の転機は、息子が小学校3年の時に受けたいじめでした。その時から、「この子は私が守る」自分以外の誰かのために私自身が存在するのだと腑に落ちた瞬間でもあります。



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引きこもりの日々へと続きます。