「そこそこの人」の自覚 | いつも音楽とともに

いつも音楽とともに

6~17歳までピアノを習い、22年後39歳でピアノ再開。ショパンのバラード1番で、右手小指のMP関節が緩んで弾きにくい状態となりました。原因不明で治りません、関節が緩い体質が原因とのこと。
~プライバシー重視、知り合いはミクシかツイッターで~

子供の受験用のピアノではなく、大人の趣味のピアノは自由

自由は基本ですが、意識づけは必要かなと思ったり。

あくまで個人の意見であり、人それぞれだし、どれが正しいとか悪いとかもありません。

ただ、自分がどの路線なのかは意識した方がいいかなと思いました。

 

ピアノだけでなく、音楽全般だけでなく、何でもの話です。

1つに絞ってすべてを注げる、いえ捧げる人と、あれもこれもやる人とは、明らかに違います。

才能やセンスの違い以前に、時間とかけたお金が違います。

この違いは、力量にも出ると思っています。

 

わかりやすく言うと、あれこれやってると「そこそこの人」にしかならない。

(もちろん、あれこれやっていても、滅茶苦茶スゴイ人もいます)

私は他人から言われて、あぁやっぱりそう見えるんだなぁと思いました。

失礼とか、腹が立つとか、全く思いません。

確かに、食事はできるだけ手作りしたいし、資格試験の勉強もしたいし、家事もやりたい。

海外ドラマも見たいし、ユーチューブも見たいし、読書もしたいし。

それでは、何もかも捨ててピアノ弾いてる人には勝てません。

(もちろん、勝ち負けの問題ではありませんが、時間単位で到底及ばない

 

私はピアノを再開した時、

今度は楽しみたい・続けたいと思って戻りました。

なので、自分の実力がそこそこな残念なレベルな事もわかっていました。

子供時代に辞める時に、先生に「これ以上続けても無駄」とか言われていましたし、

それでもまた弾きたいと思ったのだから、無駄になるであろうと自覚していました。

 

それでも、オフ会等であまりに上手なアマチュアピアノ弾き会社員を拝見し、羨ましいと思うことは多々あります。

しかし、そこまでの犠牲を払ってピアノに捧げていない自分の実力だと、納得もしています。

私は、すべてを音楽、ましてやピアノにかける気はありません

no music♪no lifeとは思っていますが、ピアノだけでは生活できません。

 

それを言い始めると、

働かなくてお昼間から家の防音室で練習できる人とか、どうなのかとかになってきます。

いわゆる「3号」です、個々人・それぞれの家の事情はあるでしょうけれど。

その方自身の実力で手に入れた地位や権利なのか? 正当で妥当なのかとか、言い出すときりがありません。

 

平日昼の練習いいなぁ、防音室いいなぁ、毎日グランドピアノいいなぁとは思います。

でも、私は今から防音室にお金を使うなら、将来のためイデコ入る?みたいな選択肢を考えてしまいます。

人生100年時代ですから、身の丈にあった資金繰りというものがあります。

全く羨ましくないと言えば嘘になりますが、妬(ねた)ましいとかはありません。

自分のできる範囲で、できるだけ理想に近づけたいと思っています。

 

バイオリンを買い換える時に、生涯やります! 転職してでもオケに入ると思っていたのに。

買い替え後間もなく、肩と手を痛めて辞める羽目になった事もあり、防音室を買う気にはなれません。

防音室があれば練習時間は増えるとは思います、すでにグランドピアノは家にあります。

それでも防音室は備えず、電子ピアノでの練習で満足しています。

 

「そこそこのレベル」ですが、そこそこの中でベストをつくしたいと思っています。