ピンク薔薇心と体と意識の断捨離・浄化(クリアリングとヒーリング) 会うだけで幸せになるクローバー 東京・新宿のカウンセリングセラピスト☆ 岡部早香です音譜 

 

 

 

だいぶ間があいてしまいましたが

ダンスの記事の続きですニコニコ

最後の舞台 ⑬ ケガをこえてむかえた本番 2

 

 

 

 

 

最後の舞台 ①  私の初舞台

最後の舞台 ②  会社を辞めダンスの道へ

最後の舞台 ③  社会人新体操に挑戦

最後の舞台 ④ 新体操社会人大会

最後の舞台 ⑤ 横地愛選手のことば

最後の舞台 ⑥  新体操編

最後の舞台 ⑦  新体操トレーニング

最後の舞台 ⑧  

最後の舞台 ⑨  突然のできごと

最後の舞台 ⑩ 突然の大怪我

最後の舞台 ⑪  本番前の大怪我から

最後の舞台 ⑫ ケガをこえてむかえた本番 1

 

 

 

本番の約3週間前に、リハーサル中に

左ヒザの半月板をいためてしまって、

 

 

病院の先生に、舞台出演はいったんは

禁止されましたが、

 

 

無理をいって、出演できることになった

私の最後の舞台。

 

 

 

 

 

 

本番中に出てくるアドレナリンのおかげで、

踊っている最中は、

 

ゲネプロから、お客様が入っている本番まで

痛みも感じることなく、踊り通すことができました。

 

 

 

 

もしケガしていなかったら、ここはもっと

高く跳べたのに、とか

 

もっと脚があがったのに、

ということは もちろん色々ありましたが、

 

 

 

表現や、出演メンバー全員でつくりあげる

作品」としては、

 

そのとき でき得る限りの すべてを

出すことができました。

 

 

 

 

 

 

だから、

 

ケガをした状態の私を信じて、そのまま

本番1週間前のリハーサル復帰でも

出演をさせてくれた先生

 

 

 

ムリを押し通した 私の願いをきいて

出演の方向で 治療をすすめてくれた

病院の先生

 

 

 

 

ケガをしたときから、本番が終わる

最後の瞬間まで、助けてくれて支えてくれ、

 

一緒に意識を共有して

作品をつくりあげて 踊ってくれたメンバー

 

 

 

 

そして、あんな激痛だった状態から、

会社への通勤や、

 

リハーサルへの復帰、そして本番まで

頑張り通してくれた 私の左ヒザには、

 

 

本当に感謝しかありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

その舞台本番には、当時働いていた会社の

友だちも 何人も観にきてくれたのですが、

 

 

踊っている最中、舞台のうえではもう

最大限の表現をするために

エネルギーをついやすので、

 

 

 

はじめて私の舞台を観にきてくれた

年下の友だちが ビックリしていて

 

 

 

「(私の知ってる)

 きもとさん(私の旧姓です) じゃない・・・びっくり

 すごかった」

 

 

と、何度も言ってくれていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

そして、その舞台が終わったあとは、

今度こそ 病院の先生の言うことをきいて(笑)

 

 

 

レッスンにもずっと行かずに、ヒザをじゅうぶん

休ませました。

 

 

 

 

だから、その後1年間くらいは、

ケガした部分が 痛むことはたくさんありましたが、

 

あのとき、病院の先生に食い下がって

最後の舞台で踊ることができて

 

 

本当によかったと思っていますニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

もし、「仕方ない」 と出演をあきらめていたら、

ヒザが治るのが もっと早かったとしても

 

 

きっと そのあと

一生後悔していたと思います。

 

 

 

(もしもそのあと 出演をしたために

 ヒザがずっと治らなかったとしても

 

 やっぱり踊ってよかったと思っていたと

 おもいます) 

 

 

 

 

 

 

その最後の舞台の 約10か月後に、

元夫の海外赴任が決まり

 

 

一緒に帯同することになったので

文字通り、それが最後の舞台になりました。

 

 

 

 

でも、ダンスが心から好きなのは 

変わりなかったので、

そのあと タイに赴任していたときも

 

 

レッスンができる場所をみつけて、

細々と通ったり、

 

 

 

息子を出産してから、

ドイツのニュルンベルク

引越ししたあとも、

 

息子が幼稚園に行くようになったら、

スタジオをみつけて、レッスンに通ったり、

 

 

 

息子がまだ赤ちゃん赤ちゃんで それができないときは

家の中で、息子が眠ったすきに

 

椅子をつかって バーレッスンを

やったりしていました。

 

 

 

 

 

 

 

そして、

私が2015年の8月に

ドイツから日本に帰国する約2か月前、

 

 

自分で振り付けたソロダンスを、

ソプラノ歌手の友人の歌とのコラボ

踊ることのできる機会がめぐってきました。

 

 

 

 

その前の年のクリスマスに、その友人が歌った

アヴェ・マリア

にとても感動して、

 

 

どうしても、この歌で踊りたい!という気持ちが

わきあがってきて、

 

 

その友人に 歌とダンスのコラボ

一緒にやらせてもらいたいと願いでました。

 

 

 

 

シューベルトの「アヴェマリア」です宝石ブルー

子供の頃から大好きだった曲で、

こちらも はじめてUAEで聴いたとき感動して

一生懸命 耳コピで弾こうとした思い出があります

 

 

 

すると、ちょうどその友人が所属していた

日本人の歌のグループで、チャリティコンサート

開く予定で、

 

 

その友人は、合唱以外にも

ソロで何曲か歌うので、

 

 

そのときのプログラムしましょう、

という話になったんです。

 

 

 

 

 

そこから振付をスタートさせてから、

本番までの期間は

本当に幸せでした。

 

 

 

 

歌を聴いて、歌詞の内容を調べ、

イメージをたくさんふくらませて

振付を考え、

 

 

衣装も 自分でつくるので、

どんな形の どんな色にしようか、

デザインを考えたり、

 

 

 

ソプラノ歌手の友人にも、歌いながら

動いてもらう振りや 動線を考え、

頭の中は、そのことでいっぱいでした。

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、離れていたピアノにもまた

再び出会って、

 

そちらも とりつかれたように(笑) 毎日何時間も

弾いていました。

 

 

 

 

(周りの友人たちには

 「何でそこまで」 「何のために」 

 と言われていました 笑

 

 同じように 子供がいた友人たちなので、

 そこまで 時間やエネルギーをつかうのが

 不思議だったようです

 

 

 

 

 

そのチャリティコンサートで、

合唱で歌う友人の1人が、フルートでソロ

演奏する予定だったので、

 

 

その伴奏をやらせてもらうことになり、

それも とっても幸せでした。

 

 

 

 

オーボエ、バイオリンの伴奏は

したことがありましたが、

 

フルートは初めてで、

爽やかで すがすがしい音色

本当に素敵だなと感じて

 

 

毎回 合わせの練習が楽しみで

何回か合わせて 終わりの時間がきてしまうと

 

 

「もっと やりたい指輪

といつも思っていましたニコニコ

 

 

 

 

その時の曲です ↓

 

シュターミッツのフルート協奏曲 ト長調

 

 

 

そして、通っていたスタジオを時間借りして、

振り付けた踊りを練習したりする

日々を送りながら、

 

 

 

「たぶん これがもう本当に 私が踊れる

 最後のチャンスになるだろう。

 

 照明などがある ホールの舞台ではないけれど、

 お客様の前でみてもらえる 最後の踊りになる。

 

 そのあとは、今度こそ 

 ピアノを死ぬまでやっていこう」

 

 

 

と心に決めていました。

 

 

 

 

 

 

私は、ピアノを離れていた期間に、

久しぶりに実家に帰ったら、

ピアノが売られてしまって なくなっていたり、

 

 

ずっと とっておいた子供の頃からの楽譜が、

勝手に母に一部を整理して 処分されてしまったりして

泣いて怒って 大ゲンカという事件もあったのですが(笑)

 

 

 

もう、今度こそ

だれに何といわれようと

ピアノは死ぬまでやる、と決めています。

 

 

 

 

 

 

 

そして、むかえたコンサート本番

 

 

 

合唱の歌は、そのグループの音大出身の方が

ピアノ伴奏をしていましたが、

 

 

 

ソプラノ歌手の友人の歌や、

もう1人 バイオリニストの友人のソロ演奏の

ピアノは、

 

 

 

ニュルンベルクの音大のピアノ科の

先生が 弾いてくださったんです。

 

 

 

 

 

 

 

本番当日、1度リハーサルで合わせて

もらいましたが、

 

 

そのあと お客様が入った状態での本番は、

ソプラノ歌手の友人と、

音大の先生のピアノと

 

 

意識が一緒になった状態

踊ることができて、

とても幸せでした。

 

 

 

 

 

 

 

曲の最後は、ソプラノ歌手の友人の横で

私が眠りにつくような 振りだったのですが、

 

 

その最後の振りと、最後のピアノの音

本番のときも すごく感じることができたのですが

 

 

 

あとで見た録画でも、

寸分違わず ピッタリと合っていて、

 

 

音大の先生が、意識を研ぎ澄ませて

歌とダンスに ピアノを合わせてくださったのが

わかって心から嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

私は 踊るときは

 

「音にあわせて 踊っている」 ように見えるのではなく

 

 

「その振りから まるで 音がつむぎだされるように

 踊りから 音が生まれて 客席に届くような

 

 

音と一体化しているように 

見ている人に 感じてもらえるように踊りたいと

いつも思っていたのですが、

 

 

このときは それが実現できたのを

感じることができました。

 

 

 

 

 

 

 

チャリティコンサートだったので、

ソロ出演者にもギャラなどはなく、

 

音大の先生には、ワインのプレゼントなどを

お渡ししていました。

 

 

 

 

音大の先生も、

ダンスとの合わせで演奏されるのは

初めてだったようでしたが

 

 

とても 楽しんでくださったようで

本番のあとの 打ち上げのときに、

 

 

「こんな仕事なら、ノーギャラでもいいから

 またいつでも ぜひ やらせてもらいたい」 

 

 

と嬉しそうに言ってくださって、すごく幸せでした。

 

 

(そのときは、もう 「離婚するために日本に帰る」と

 自分の中で 決めたばかりだったので、

 それは かなわなくて本当に残念・・ 

 

 もう一度 先生とソプラノ歌手の友人と一緒に

 やりたかったクローバー

 心の中で思っていました)

 

 

 

 

 

チャリティコンサートのお客様は、

日本人とドイツ人が半分ずつくらい

だったのですが、

 

 

曲の最後の音が 響き終わったとたん、

「ブラボー!!」 の声と大きな拍手を

たくさん頂けて 

 

 

終演したあとの帰りがけにも

「素晴らしかった」 とたくさん声をかけていただき

感激しました。

 

 

 

 

 

 

私は、ケガをしたあとに出演した

最後の舞台のときに、

 

本番の最中、袖のところで 音をききながら

自分の出の瞬間を待っているとき、

 

 

 

「私が 人生で 自分にとっていちばん大事なのは

 こういう瞬間なんだ。

 この気持ちを感じられることなんだ」

 

 

 

という、「自分にとっての真理」 みたいなものが

心の底からわかって 腑に落ちた瞬間があって

本番中に 涙が出そうになりました。

 

 

 

 

 

 

でも、その 「自分にとっての真実」が 

わかったのに

 

 

なぜかそのあとは、違う方向へ

すすんでしまうのですが(笑)

 

 

 

その、違う方向を経験して 味わったからこそ、

今また ピアノを弾くことができるのが

もう幸せでたまりませんニコニコ

 

 

 

 

 

今日も明日も あなたがたくさんの幸せを感じられますようにピンク薔薇

世界のこどもたちが、みんな笑っていられますように

 

ハートから溢れんばかりの愛をこめて

Sayaka