東京の家でも、父が滞在しているので朝メニューは実家のものと似かよっている


「腸内細菌の多様性が大事なんだから!」といろいろな食材を試してきたが、やっぱりいつもの食材の方がいいと頑な父


今年92歳になり、考えてみれば同じような食材でこの年までやってきたのだから、本人が食べたくないものを無理に食べさせるのも可哀想かなと、私は諦めの境地に達しつつある






お昼前になり、父がオイスターバーへ行きたいと言うので、日曜日だし混むだろうからと慌ただしく仕度をする


マンションのエレベーターを降りた所で、補聴器がないのに気付き、父をそこに残し取りに行く


補聴器を持って降りてきて、ゆっくりゆっくりと声掛けしながら補聴器を付けてもらうが、父は焦って思うようにできない


その上、「ああ…年を取ると言うのはこう言う事なんだなあ。目も悪くなって、耳は聴こえない、補聴器を入れるのにも時間がかかる、何をやるにももたつくし、色んなことをすぐ忘れてしまう…」とボヤきだす


それを聞いた時、すでに私自身も老いを感じる身ではあるが、いずれ父と同じ状態になって行くのだろうと覚悟しなくてはならないなと思った


これも諦めの境地?
いやいやそうじゃない!
明らかにするのよね


そうそう、誰かが言っていた
『あきらめる』とは『諦める』のではなく、『明らかにする』と言う事なんだそうだ


物事をしっかりと見極め(明らかにし)、その上で現状を受け入れ執着を捨てる


(今そう思っても、年を取ったなとか、疲れたとか、痛いとか愚痴るかもしれないけれど…)


私がそんな感慨に浸っていると、父は「東京に遊びに来れるのだから、それだけでいいんだ!感謝だ、感謝!」と自分なりの落としどころを見つけ、「さあ、お昼を食べに行こう!」と歩きだした


いずれ私がもっと年を取り、父と同じように落ち込んだ時に、今日の父の話を思い出せるといいな