ついつい自分が哀しい、せつない、辛いと言う想いに飲み込まれてしまうけれど…

息子はどう感じていたのかしら



幼い頃は全身を使って表現してくれたから、分かることも多かったけれど



病気の進行と共にだんだん動けなくなり、表情からも伺い知るのが難しくなり、バイタルサインやちょっとした変化で分かろうと私は必死だった



それさえも息子の本意を何処まで理解できていたのか…



大好きだったディズニーランドも連れて行ってあげたかったし、周りのお友だちも全面協力してくれると言ってくれたけれど



息子の体力を考えると無理をさせてしまうかもしれないと思って、行けなくなった



たとえ短い時間でもいいから、連れて行ってあげれば良かったかしらと後悔が残る



コロナ禍の言う時代背景も私の不安に拍車をかけていた



何処かに行ったからと言って、それだけが幸せではない、普段の生活を如何に過ごすかも大切なことだものね



後悔が浮かんでは、懸命にそれを打ち消すような理由を浮かばせる



最後には、(今、悩むことではない)と自分に言い聞かせる



その繰り返し…



「息子を連れて行ってあげたかった」と過去形ではなく、「息子を連れて行きたい」と言う思いだけにとどまらせ、



できたら「一緒に見ているね」と思い、その瞬間のきらめきで心を満たせるようになるといい