今日は病院の受診日。早朝、順番取りに行く。たったこれだけの事なのだけど息子がいた時はできなかった事をすると相変わらず虚しさが押し寄せる。


どうせだったら思いっきり早く行ってやれと6時半に家を出た。22番の札を見て、まあまあの早さねと納得。


順番取りを終え、午後の診察のため一時帰宅予定が、帰り道にあるスタバに入る。家に戻れば食材は揃っているけれど、たまには外で朝食を取るのもいいものだから。


サンドイッチを頬張りながら本を読み、半分ぐらい食べた所で外を眺めた。


通り過ぎる人々の中に、以前は車いすに乗る息子とヘルパーさんと私の姿があったはず。過去に戻り、その頃に戻れたらいいのになあと。




スタバを出て、息子と歩いた道を歩いてみる。いろんな思いが巡り、息子の最期の時の様子が浮かんできた時に「本当によくがんばったね、ありがとう」と何度も口にする。


周りに人はいなかったから、サッサと歩きながら遠慮なく言葉にしていた。


ずっとずっと一緒にいたかったけれど、きっと息子ははかりしれない程の辛さがあったのだから…


息子のタイミングで逝って、今は辛さから開放されたのだから…


でも、こう考えるのは息子のいない哀しさを打ち消そうとしている自分の弱さなんだろうなとも思った。


周りの世界は息子の事は忘れて動いているのが虚しい。そんなの当たり前の事なんだけどね…


ある方が教えてくれた。


自分自身がずっと息子の事を忘れないでいるのが大切なんだと。


歩いているといろんな思いが巡り、時折 陽に当たった草花や空に浮かぶ雲やすれ違う人々に目が行って、心のシャッターをきり、一瞬でも写真を撮りたいと言う気持ちに集中できるのが救いだ。


昔、親子三人で見た紫陽花が今年も咲いた。それを見ていつも思うの。


私がこの世から居なくなっても、この紫陽花は私たち家族の記憶を持ち続け、ずっとずっーと花を咲かせていくのだろうから、私たち家族は永遠にここにいるってね。




こうやって弱い私は何かに理由をつけながら、これからも生きていくしかない。