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とんとんとん

とん☆のひとりごと

場面緘黙症・・・前にもこのタイトルでブログに書いた。


それは、ある場面では話すことができても、違う場面では話せなくなる病気。

だいたいが、家では話せるけど、幼稚園や学校では話せないらしい。

私もそうだった。


そして、だいたいはそれが子供のときだけで、大人になっていくにつれ、

環境の変化によって治っていくことが多いらしい。


私はその逆で、小学生の時よりも、中学生の時よりも、

高校生から二十歳ぐらいまでが一番ひどかった。


大人になれば誰もが普通に話せると思ってた。

そのときはこれが病気だってことさえも知らなかったから。

異常なほどの、人見知りだと思っていた。

私だけが、普通の人ではないと思っていた。

それは、とてもつらいことだった。


家族とさえも、話せない時期もあった。


二十歳の時に、大失恋をした。

人を好きになることさえも諦めた時期もあったのに、

本当に大好きな人に出逢えた。


それから私は変わろうと思った。

いろんな人に会って、話す努力をしようと思った。

とても、意欲的だった。


それでも、私には限界があった。

人に会ったからって、何か話せるわけでもなかった。


でも、がんばってがんばって、たまに挫折して、またがんばって生きた。

そして、今の夫と出逢えた。


夫に対して、正直いうと恋愛感情はなかった。

申し訳ないけど、今もそういう感情があるかどうか分からない。

でも、夫の前では素の自分でいられた。

だから結婚した。


今だって、私は自分を普通の人とは違うと思っている。

普通の人のようには話せない。


きっと、終わりの無い悩みなのだろう。




ただ、これが病気だと分かったときは本当に嬉しかった。

自分だけじゃないと知って、良かったと思った。


↑ これも、前に書いたんだっけかな?(確かめろよw)


なんのためのコミュティだか分からない。

私がリーダーしている必要が、あるのかな?


最初はただ私のプロフィールに載せるためだけに作ったコミュニティ(その頃は部活)。

でも意外なくらいに参加者が増えてしまった。


そして、私が被災者になってしまったことで、多くの人に迷惑をかけてしまった。


どうしたらいいのか、分からないや。



とりあえず、現状維持で。

無くす必要はないよね。

やっとネットのできる環境になった。


始めはネットなんてするつもりなかった。


だって、すぐに家に帰れると思っていたんだもの・・・。


でも、もうほとんど家に帰ることは諦めている。




これってすごいことなんだけどな。


自分の生まれ育った家に帰れないって。


お墓参りだって、簡単にはできない・・・。


生い茂った草を、刈ることさえできないのに・・・。

(草には放射性物質がいっぱいだから)




どうして、最初からいろんな場所の放射線量を測らなかったの?


最初は海側の放射線量の低い数値だけ発表して安心させて、今さらなんなの?


どうして、あの事故から4ヶ月以上も経ってから避難しなきゃならない人が出るの?




適当なことやってんじゃないよっ!





あ、なぜか急に怒りが・・・。




ブログのデザインを変えた。


プラグインのtwitterの色も変えてみたけど、なんか気に入らないな。

大変でした。


地震だけでもびっくりしたのに、まさか原発で避難することになるとは思わなかったー。


しかも、家がこんなに原発に近いなんて・・・こうなってみないとわからないもんだ。




最初、夫と私は避難する気などなく、両親と兄と祖父だけが親戚の家に避難した。


その次の日ぐらいにすごいサイレンがなって、村中(葛尾村です)に避難勧告が出た。


これは国ではなく、村の判断だった。




私たちは何が起こったのかも分からずに、とりあえず用意していた避難用の荷物と、飼っていた犬2匹を連れて


村で集合場所とした、福島市のあづま総合運動公園に向かった。


猫も5匹いたけれど、家に泣く泣く置いてきた。本当につらかった。




でも、私たちは結局そこを避難場所にすることはなく、夫の実家である南相馬に厄介になることにした。


犬がいると、やっぱり避難所には居づらいんだよね。



それから一ヶ月ほど夫の実家での生活をし、仕事がどうなるかもわからずにすごした。


私の職場も夫の職場も、原発から30km圏内だったから。




そして、夫の会社が移動することに決まった。


ということは、私たちは引越しをしなければならなかった。



私の仕事も再開されることに決まったけれど、結局その仕事は辞めることにした。




そして、私たち夫婦は田村市に引っ越した。


知人の紹介で、運良く大きめの家が借りられたのだ。




そこに私の家族も呼び寄せ、家の5匹の猫も連れてきて、


今はまた6人と犬2匹と猫5匹で住んでいる。




私の仕事もやっと決まり、仕事を始めて一週間がたった。


なんとか生きていけるメドがたったと思う。




あの大震災から昨日で100日。いろいろなことがあった。


私は、まだ生きています。


そしてこれからも、生きていきます。

地震こわかった。

津波テレビで見た。

そして原発。


避難指示という名の強制。

家も無事で電気も出て水も出るのに…




今は夫の実家にいる。

ここも原発から29kmぐらい。

これ以上、遠くに行きたくないよ。





ネットのできる環境じゃないので、ちょっと不便。