死んでしまえ!


と思う事も度々です。


揉めても

揉めても


解決せず、、、



でしたが、



その解決すべくの話の中で



息子が

息子の中に

悪さをする人格があり

それが捕まえようとしても逃げて捕まえられない

話をして来ました。



息子はその人格が憎くて消えて欲しい

と言います。



私は、

その人格はあってもいい

それを認められないから私と揉める事が起きる


話をして、、、



それから、

息子が

その人格と和解出来たようで



息子の困る言動が減りました。





今朝も

息子と上手く噛み合わず



またまた、

酷い揉め方になり



どうしてそうなるのか?


ゆくゆく、

息子と話をして行ったら、、、



また

別の人格がいて、

その人格は、息子が悪さをしようとすると

息子を責める言葉を浴びせて来るので

劣等感が募る

話をして来てくれました。



私は、また、

劣等感を感じてもいい

劣等感は場面によって違うから具体的に何が心配か?


そんな話をしました。



話中に、

息子は、

その自分を責めて来る人格も認める事が出来ました。



さらに、



私自身が

感情の怒りがどういう仕組みかわからなかったので、



自分の人格を認識出来る息子(私にはそんな事が出来ないから、それだけで尊敬しますが)に

私と揉めてる時の息子の感情はどうなっているか?

を聞いてみました。



そんな事をしていたのですが、



その息子が感じる自分の人格や感情は


私にとっては、無数にある意識として感じられて

それは、

自分を取り巻く世界でもあり、



その複数の人格を

居てもいい

と認める事と


無数にある周囲の情報やエネルギーや意識を

あってもいい

というか


在る


と認める事は



きっと同じで



それが



統合



なんだろなぁ。



と思いました。



ついでに、



この複数の人格

複数の情報

複数の意識

複数のエネルギー


前生でもあり



やっぱり




在るね



今はまだ出番じゃないから

とか

%とか



その割合やタイミング



それらが



調和とか

バランスで



出し方はともあれ


居る

とか

在る

とかに



気付く事





統合



なんだと思いました。



揉めるのは、



複数ある人格が

消さないで!嫌わないで!

と訴えているように


複数ある意識が

消さないで!嫌わないで!

私も必要だよ。





訴えている



んだろな





思いました。