日本人が海外転勤や留学の為、海外生活をする中で、「一番辛い」とよく挙げる理由は、

「現地のお米がまずい」 


米のうまさがわかる我々日本人にしか理解できない辛さでしょう。

ヨーロッパへ留学した友達の多くが、よくその苦労を語っていました。

「現地のお米がまずすぎて、食事のたびに泣きたくなる。」


私もそれが一番憂鬱でした。

アメリカで一番最初に買ったお米、それが私の口に合わなくて…

「これから3年間、日本のお米を食べられないのか…」と一気に気が遠くなりました。

(あのお米も一生懸命、農家さんが作ってくださったので、こんなこと言ってはいけませんね。)


これを私は「ホーム・フード・シック」と名付けました。

ホーム・フード・シックは、海外生活を体験した人にしかわからないほど、辛かったです。

むしろ海外生活のホームシックの理由の内訳は、ホーム・フード・シックが原因じゃないかなと勝手に思っています。
それだけ母国の味、生まれ育ってから食べてきた味の影響は大きいと思います。


そんな中、ある日、日系マーケットで見つけた
カリフォルニア産コシヒカリ。


コシヒカリ!?
コシヒカリを名乗るか!?

そして、

…食べてみてビックリ、

カリフォルニア産コシヒカリは
本当においしいかったのです。

感動と安心で涙が出るほど、ありがたかったです。

日系マーケットに売ってあるアメリカ産のジャパニーズ・ライスは意外にもどれもおいしく、


私のお気に入りは、
こうだファームの「こうださん」という日本人のおじいちゃんの写真が載っているものでした。
懐かしい日本人のおじいちゃんの写真が好きで、我が家はこれに決めました。





こうださんのことは詳しくはわかりませんが、
白黒の古い写真から、

日系アメリカ人の方かなと思いました。

日系アメリカ人の苦労…

戦前、アメリカへ渡り、
差別と貧困に耐え、
太平洋戦争中、日系人は強制収容所に入れられ…

それでも汗水たらして一生懸命働き、こんなおいしいお米をアメリカで作ったのです。
ここに日本人の本来の姿がある。


私は人種差別が大嫌いなので、あえて国名を伏せ ますが、
アジアの他の国からアメリカにきた移民は、

セコイことをしたり、怠けたりして、

後世の今になってもアメリカ社会で、
「○○人は怠け者だ、嘘つきだ」
といレッテルを貼られたままの国もあります。


日本人がアメリカ社会で一目置かれる、その理由のひとつは、ニンテンドーや大谷翔平選手よりもずっと前からいてくれた、日系アメリカ人のおかげだと思っています。




現に、北アメリカと同様、南アメリカへ移民した日本人も、

戦後の日本が貧しかった時代に、
日本政府と南米政府の双方の利害関係の口車に乗せられ、
「新天地を求めて」
海を渡っていきました。




私はアメリカにいた頃、日本のテレビ番組(テレビ・ジャパン)を夫が契約してくれた為、日本のテレビ番組を一部観ることができ、
そこで南米に渡った日本人のドキュメンタリーを観たことがあります。


南米に着いて、使い物にならないような土地をもらい、
日本人たちは愕然としたと…。

「そんな…。日本政府が言っていたことと全然違う…。」



まさか南米だけではなく、祖国の日本政府にも騙されてしまったことを悟った瞬間は、失望したでしょう。

それでも南米に渡った日系人たちは、涙を拭いて、共に肩を寄せ合い、汗水たらして一生懸命働き、肥沃な土地を広大な大農園にしました。


 


そのドキュメンタリーで、
現在、その日系人たちはおじいちゃん、おばあちゃんになっており、

それでもイスラエルのキブツのように、

大農園で日本人同士、高齢になった今でもみんな肩を寄せ合い、
みんなで暮らしていました。


とある日本人のおばあちゃんの息子は今、
首都の総合病院で、部長クラスの医師になっていました。

しかし月に1回、「往診」として、
首都から、田舎の日本人農園にやってきて、

育ててくれた母だけでなく、
日本人コミュニティのおじいちゃん、おばあちゃんたちの健康を気遣っていました。

息子さんいわく、
「私はここにいるみんなに育ててもらったから。
ここにいるみんなは、
生活か苦しい中、日本人同士で手を取り合い、みんなでここを大農園にした。

みんな忙しい中、みんなで、みんなの子供を育てた。
僕にとっては、実の両親以外にも、沢山のお父さんとお母さんがここにいる。」


以前は南米社会で、
日本人に対する差別がひどかったそうですが、

今や
肥沃な土地を大農園にした日本人は南米社会で一目置かれています。

それはやはり大陸に渡り、苦労をした日本人のおかげです。



そのおかげで南米には、
「日本人はうそをつかない、仕事をまじめにする」と言われているそうです。


そのドキュメンタリーの取材を務めたのは、
日本からきた日本人のお笑い芸人さん。
(↑アメリカ生活が長かった私は、その芸人さんのお名前がわかりません。)


そのお笑い芸人さんは、
日系人のおじいちゃん、おばあちゃんたちと仲良く数日を過ごしていました。

そしていよいよ、日本のお笑い芸人さんが日本へ帰る最終日…

その芸人さんと日系人たちのお別れの朝。

日系人のおじいちゃん、おばあちゃんたちは、
「またここに遊びに来てね…。
飛行機代は払ってあげるから、
また遊びに来てね…。」

と寂しそうに、芸人さんを見送っていました。



その芸人さんが、
「そんな。僕が飛行機代を払うから、
お父さん、お母さんたち、みんな日本へ遊びにおいでよ。

日本は戦後に比べて随分、変わったよ!
先進国だよ!
ビックリするよ!
見たいでしょ?」


しかし日系人のおじいちゃん、おばあちゃんは、何だか寂しそうに笑い、
「日本に遊びに行く」とは言いませんでした。

見たくないのかもしれない。

かつて日本が貧しかった頃、
日本と南米の双方の利害関係から、

南米政府だけでなく、
祖国・日本政府の「口車」に乗せられ、
日本から
「追い出されてしまった」
日系人。


くやしさもあるだろうな。




日本人の芸人さんに、
「飛行機代を払ってあげるから、またここに遊びに来てほしい」と頼んだ、日系人の皆さん。

「飛行機代を払ってあげるから」と相手を気遣うところが、
実はまだ生活がそこまで豊かではないのかもしれない…

大農園を維持するのも大変なんだろうな…と感じてしまいました。


一人の日系人のおばあちゃんに、

「お母さんは日本に帰ってこないの?」
とインタビューしたら、


「私はこの南米に渡り、
主人と一緒にいっぱい、いっぱい泣いた。

泣いて泣いて、ここの日本人みんなで肩を寄せ合い、協力して、この大農園を作った。
泣いて泣いて、日本人みんなで協力して、みんなの子供たちを育てて、独立させた。

主人はこの南米で死に、もう主人のお墓はここにある。

だから私はここにいる。」





日本人みんなで成功させた大農園に、
みんなで暮らしていて、

毎晩楽しそうにみんなで酒盛りをする、
日系人のおじいちゃん、おばあちゃんたち。

毎晩、ほろ酔いの中、
みんなで唱歌「ふるさと」の歌を合唱していました。

「志しを果たして〜
いつの日にか帰らん〜

山は青き故郷〜
水は清き故郷〜」

みんなでふるさとを歌い、涙ぐんでいました。


↓南米の日系人のお祭り。


確かに日本は変わった。

戦後の混乱を乗り越え、
先進国になった。

日系人のおじいちゃんおばあちゃんたちが思いをはせる
山は青き故郷、水は清き故郷ではなくなったのかもしれない。




そんな中、またアメリカで日本のテレビ番組を観ていたら、

こんな街角インタビューをやっていました。

日本の街中で、通りすがりの日本人に、ふたつの種類のお米を食べさせ、

「ひとつは魚沼産コシヒカリ、もうひとつはカリフォルニア産コシヒカリです。

食べてみて、どっちが魚沼産コシヒカリか当ててみてください。」

というインタビューをしていました。

カリフォルニア産コシヒカリなんて食べたことのない、日本在住の日本人。


ふたつのお米を食べた日本人は
「こっちのほうがおいしいから、魚沼産!」
と、自分が高級米の魚沼産コシヒカリだと思うほうに投票していました。

その投票結果は驚くことに…
カリフォルニア産コシヒカリが僅差で勝利していました。


私は、
「ほらね!やっぱりカリフォルニア米コシヒカリっておいしいよね!

日本在住の日本人でさえ、魚沼産コシヒカリよりもおいしいと感じる人がいるなんてすごい!」

とテレビを観ながら興奮して何だか嬉しくなりました。


しかしその後の質問、
「日本がTPPに参加し、このカリフォルニア産コシヒカリが日本に輸入されるようになったら、あなたは買いますか?」

という質問に、
さっきまでカリフォルニア産を魚沼産だと勘違いしていた日本在住の日本人の多くは、
「買わない」と即答しました。


カリフォルニア産コシヒカリを買わない理由は、
「国産のほうが安心だから。」
「同胞の日本人が汗水たらして耕した魚沼産を買う。」
というものでした。

テレビ局の狙いは、当時のTPP問題を問うもので、
もちろん私も日本人だから国産を大事にしたいと思います。
まず第一に、TPP問題と、私のカリフォルニア産コシヒカリへの思いはまったく別問題で、ごっちゃにしてはいけません。


ただ、日本が貧しかった頃、
実は祖国日本と相手国の利害関係に「売り出された」
日系人…

いや、
同胞・日本人

かつてアメリカに渡り、汗水たらして働いた日本人のお米に、

現代の日本人が

「国産のほうが安心だから。」
「同胞の日本人が汗水たらして耕した魚沼産を買う。」

祖国の日本人にも忘れ去られた
「日系人」と呼ばれる日本人。


豊かな2000年代の、
「アメリカに留学したい」
「アメリカに住んでみたい」とは全然違う、

アメリカで差別と貧困、強制収容所を経て、

一生懸命働き、アメリカ社会で一目置かれるようになった彼らの苦労。

繰り返しますが、私は当時のTPP問題と、カリフォルニア産コシヒカリのおいしさをごっちゃにしているわけではありません。

それに私たち日本人は、日本に住んでいたら、カリフォルニア産コシヒカリを食べる機会がなかったのです。



ただ私は当時、肥沃だった土地のアメリカで、あんなおいしいお米を作ってくださった日系人の苦労と功績に、感謝と敬意を称して、

こう言いたい。

アメリカのお米はまずい、
ではなく、
アメリカのお米は
本当に本当においしいです。



調べてみたら、このおじいちゃんは国府田敬三郎さん。

日本で、なんと25歳の時点で学校の校長先生だったらしいのですが、

1920年(大正初期)から約20年近い歳月をかけて、カルフォルニア州サリナスで水稲の大規模生産技術を確立し、

日本米と品質があまり変わらない「国宝ローズ」の大量生産にも成功した実業家です。


明治時代、彼は見ず知らずの異国アメリカの土地でゼロから事業を作り、

第二次世界大戦中は、日系人ということでアメリカで強制収容所に入れられ、

戦後は、敗戦国の日本人ということで当時のアメリカ政府に農地を没収されるのですが、
州を相手取って損害賠償請求し少しずつ農場を再開、全米一の水稲事業を作り上げたのです。


激動の時代を生き抜いて、

今やアメリカでは、「ライス・キング」と呼ばれる実業家だったのです。



しかも国府田さんの人生は

映画化され、

アメリカでも有名な方だったらしいです。



🇯🇵日本のタイトルは、

「ドス・パロスの碧空」


🇺🇸アメリカのタイトルは、

「ライス・キングの人生とその家族たち。」



「差別ニモマケズ、

戦争ニモマケズ、

ソンナ米農家の

家族ノモノガタリ」






ありがとう、

激動の時代に

アメリカでおいしいお米を作った国府田敬三郎さん。