夫が行方不明になった翌朝の昼、夫がやってきました。


私が出かける準備をしていなかった為、


(夫は行方不明になることが増えました。

だから来ないかもしれない、と準備をしませんでした。

…というより気力がありませんでした。)


出発は遅くなってしまい、

近くのファストフードで子供たちに昼食を食べさせました。


皆さまは、昨日の出来事を流してしまった私に驚くでしょうが、

内心、一晩中、とても腹が立って眠れませんでした。



しかしもう夫には腹を立てても、

どこに行ったのかを問い詰めても無駄でした。


夫は薬物依存性、

話が通じないのです。


これ以上の不毛なやり取りはありません。


そんなやり取り、

家族の気力が失われるだけです。



昼食を食べてすぐ、ファストフードのプレイルームへ走っていって遊ぶ夫と子供たち。


夫は昔から、子供たちとよく遊びました。

だから子供たちはパパが大好きでした。



夫はいつも「僕の父親はひどい人だった」と言いますが、

夫は子供たちの面倒はよく見てくれました。


何時間も子供たちと走り回って遊んだり…


子供が赤ちゃんの頃からオムツ替えや、夜泣きも対処してくれました。


当時、夫の仕事は多忙、私は専業主婦でしたが、

赤ちゃんが夜泣きすると、夫は起きてくれました。

そして私に、

「君は寝ていていいよ。

昼間、君は1人で子育てをしてくれているのだから。」

と。



夫の父親がひどい人だったというのなら、夫はどうやってこういうのを身につけたのでしょうか?


そんなことを考えながら、子供たちと楽しそうに笑う夫を眺めました。




何故、私がさっさと離婚しないのか…

理由は沢山ありましたが、


薬物依存症になる前の夫が良いパパだったから…


そして薬物依存症になっても、一生懸命、子供の面倒を見てくれたから…



夫は、本当に子供たちを愛していました。



だから一刻も早く、薬物乱用をやめて、

元の夫に戻ってほしい。



確かにこの理由は大きかったのかもしれません。




それから夫が行きたい場所へ。


我が家から60キロほど離れた、アメリカ最古の街で、スペイン入植時代の街並みを残した歴史地区。




海沿いにアメリカ最古の教会があります。



夫はそこに行きたかったらしく、

教会に入り、祈り始めました。





私の子供たちは教会で大人しくできなかった為、

私は子供たちを連れて外で遊ばせました。



しばらくして子供たちと売店に入ると、

夫が売店におり、ロザリオを見ていました。


夫の隣に行くと、


「やっぱり高いね…これ。」


翡翠のロザリオ。

夫の洗礼名の聖人「聖パトリック」がモチーフになっていました。



ロザリオは安くて、500円ほどでありますが、

夫が見ていた翡翠のロザリオは、

日本円で、1万6000円ほど。


「そういえば、あなたは翡翠が好きだよね…。

日本にいた頃、海外出張で東南アジアに行ったら、いつも私に翡翠のアクセサリーを買ってきてくれたね。」


夫が出張で買ってきてくれたお土産の翡翠のアクセサリー、もうありません。

夫が薬と引き換えに、売ったのでしょう。



「このロザリオ、私のクレジットカードで買うよ。

一生モノになるロザリオは1つは持っていた方がいいし、

あなたの洗礼名の聖パトリックが描かれている。


何か意味があるんだと思う。

そしてあなたには信仰も必要だと思う。」




「えっ?いいの?ありがとう。」




そこから車に乗り、


唐突に

夫が話してきました。



何の前触れもなく、

夫の突然の告白…




私は、

ビックリして、

また目が飛び出ましたポーン



「凜、聞いてほしい。

…僕は薬物依存症だ。」



驚きました。



私が夫の薬物依存症に気づいて、1年9ヶ月。


夫はずっと否認をし続けました。


依存性=否認の病といわれていますが、

夫は見事にひたすら否認をし続けたのです。


もしかしたら一生、

薬物依存症であることを否認し続けるのでは、

と思っていました。



薬物依存性の※回復には、

「まず自分が依存性だと認めること」

と言われていますが、

(※薬物依存性に完治はありません。)


死ぬまで否認をし続ける人もいます。



そんな夫が初めて、


「聞いてほしい。

…僕は薬物依存症だ。」