精神科の緊急保護施設を出た日の夜。


私は子供たちを連れて、ハロウィンのお菓子をもらいにご近所を回りました。


子供たちがクリスマスと同じように大好きだったハロウィン。


もうこんな風に過ごせるのはいつまでだろう…。





私は決心しました。


このままでは夫は死んでしまいます。


だから、


米軍に、夫の薬物依存症を相談をします。



そして夫に治療を受けさせたいです。


軍人の健康保険では、軍人は勝手に民間の病院へ行くことができないからです。


米軍病院に、夫の薬物依存症を相談すれば、

米軍病院のお医者様が軍医でも軍医でなくても、

米軍人に報告義務があり、

懲戒免職になる恐れはあります。




だから私はずっと

米軍には、

夫の薬物依存症がバレてはいけない

と思って、必死で私が夫の薬物乱用をやめさせようとしました。


しかし無駄でした。



夫の薬物乱用が始まって2年、

私が夫の薬物依存性に気づいて1年半。


どんどん悪化しました。



何とかしようとしても、

どうにもなりませんでした。




私が米軍に隠していた理由は、

夫の懲戒免職を恐れていたからです。


米軍を懲戒免職になれば、

アメリカ国内でのまともな再就職はほぼ絶望的になります。


ましてや夫は日本語が全く話せず、

日本の再就職も、英会話スクールの非正規雇用くらいしかないでしょう。



お金の心配だけではありませんでした。


夫から米軍の仕事を奪いたくなかったです。




こんなめちゃくちゃな夫ですが、

一生懸命、仕事をしていたのです…おそらく1年くらい前までは。




夫の将来の夢は、学校の先生(歴史)でした。


しかし大学の進学費用が払えず、

米軍に所属して、米軍から奨学金を支給してもらって大学(オンライン)にも通っていました。


大学の奨学金が目的で、米軍に入隊する人はとても多いです。

むしろ現代ではほとんどの人が、それが目的だとも言われています。



夫の父は薬物依存性とアルコール依存性、

夫の母もアルコールの問題を抱えていました。



夫はいつも言っていました。



「両親のような人生は嫌だ。


一生懸命、生きていたかった。

世界に出てみたかった。

自分の人生を、切り開いてみたかった。

だから米軍に入隊した。」



夫が18歳で高校を卒業して、

米軍に入隊する日。



シカゴかどこかの入隊キャンプに行く時、見送ったのは、血の繋がりのないおじいちゃんでした。


夫が唯一、大好きだったおじいちゃんは退役軍人でした。



夫は両親と折り合いが悪く、高校の途中から実家を出て、祖父母の家から通学するほど、おじいちゃんっ子でした。


米軍に入隊する時、父親からは10ドルしかもらえず、

おじいちゃんが空港で、夫に100ドル渡し、

「乗り換えの空港で好きなものを食べなさい。」と言われたそうです。




入隊キャンプは厳しかったそうです。



深夜の午前0時の入隊と同時に

上官に、


「今から1分で

制服に着替えろ!

段ボール箱の中に、着てきた洋服と持っているモノを全て捨てろ!

持っていいものは、聖書と家族の写真だけ。」


夫は聖書も家族写真も持っておらず、

全てを捨てました。


おじいちゃんに買ってもらったポータブルCDプレイヤーと大好きだったバンドのCDを捨てる時、少し悲しかったそうです。





1分で着替えた後は、

隣の部屋へ移動。


隣の部屋は、電話が何十台もあり、


上官に

「今から1分で

大切な家族に電話をして、

別れを告げろ。」



同時に上官が、

「1、2、3…。」

と数え出し、


慌ててみんな家族へダイヤル。


深夜に。




深夜の為、家族に電話が繋がらず、残念ながら時間切れになる人も多い中、


夫のおじいちゃんは、ワンコールで電話に出たそうです。



「おじいちゃん!」




「良かった、無事についたんだな!」



 

「電話は長く話せない!」




「わかってるよ。

全部大丈夫だ。


全部大丈夫だから、

自分自身に誇りを持て!」




「わかった!」




「愛してるよ。」




「僕も愛してるよ!」



周りの人は、電話口で泣いていた家族もいたらしいですが、


おじいちゃんは泣き声ではなく、

いつもらしく、力強く、

誇り高い声だったそうです。



当然、夫は実家には電話はしなかったそうです。





入隊キャンプは厳しかったそうです。


上官に怒鳴られ続けたそうですが、



夫は

「どんなに怒鳴られても平気だった。

子供の頃からアル中の父に、理不尽なことで怒鳴られ続けたから、他人が怒鳴ろうが、全く気にならなかった。」

と笑って私に話してくれました。




厳しい入隊キャンプではリタイアする者が続出の中、


夫はやり遂げました。


最後に制服を着せられ、

写真を撮られました。



その写真は、家族の元に送られます。

当然、夫は実家ではなく、送り先におじいちゃんの家を指定したそうです。



私はアメリカに来てすぐの感謝祭の日、

亡きおじいちゃんの家(おばあちゃんが住んでいた家)で、


夫の入隊時のその写真を見ました。


立派な額縁に入れられた写真。


高校卒業したばかり、

入隊キャンプを終えたばかりの

18歳の夫。




「入隊キャンプはへっちゃらだった。」

笑って私に言った夫でしたが…



18歳だった頃の夫の写真は…


不安そうでした。

※写真は夫ではありません。



私はその写真を見て、

18歳の夫がかわいそうだと思いました。



私は両親が、私が0歳の時から学資保険で積み立てをしてくれたおかげで、私は行きたい学校に行けました。

当時はありがたいことなんて思わず、当然くらいに思っていました。


もちろん各家庭の経済状況もあるでしょう。


でも子供が大学に行くまで、生まれてから18年もあります。

夫の両親が、夫婦でタバコを我慢したら、18年間で1000万円貯まります。



やっぱり18歳の夫が不憫でした。



あの18歳の夫の入隊時の不安そうな写真は

もうありません。


夫のおばあちゃんが亡くなったので、

もう写真もないです。 


あの写真、欲しかったなと思います。

我が家に飾っておけば良かったです。


でもそんなことをしても、きっと何も変わらなかった気もします。



そんなふうに、はかなく失われる夫の大事な写真と軌跡、

夫と夫の家族の関係性そのものでした。