私の書き込み。



「米軍人の夫が市販薬の薬物依存性です。

軍警察に連行されました。

どのような情報でも良いので教えていただけませんか。

助けてください。」



イジワルな回答がきていたらどうしよう…


そんな不安で翌日、パソコンを開きました。



一番最初に返信をくださった方は、

のぞみちゃんという方でした。



その返信は…



「こんにちは。

私はすでに離婚をして、子供2人と日本に帰国していますが、


私の元夫も元米軍人で、

同じく市販薬の薬物依存性になりました。


出口がない

っていう感じですよね。


私もいっぱい泣きました。」

  



私はこの返信を読んで…


ぼたっと涙が落ちました。


それから…



泣きました。



ぼたぼた涙があふれ、


そこから、

わぁぁぁぁ〜っと

声を上げて泣きました。


私の書き込みは、

「私は泣いている」とは書いてはいなかったのです。


しかしのぞみちゃんの返信は、

「私いっぱい泣きました。」


のぞみちゃんは、同じ思いをしている私が

いっぱいいっぱい泣いていることを理解していました。



ずっとずっと孤独で、

寂しかったのです。


確かに

児童相談所の職員キャリッサと

子供の保育士さんたちは助けてくれました。


沢山助けてくれて、

私の隣で励ましてくれました。


しかし、

恵まれたご家族に囲まれたキャリッサ、

退役軍人の立派なご主人がいる保育士さんたち、


私はやっぱり

ひとりだと感じていました。



アメリカの地方都市で、

ひとり

ずっと寂しかったのです。



だから同じ日本人、

同じ過酷な状況下にいた

のぞみちゃんがふいに私の手を取ってくれ、


私は声を上げて泣きました。




そこからのぞみちゃんとメッセージのやり取りをして、わかったこと。



のぞみちゃんと私は同い年。


のぞみちゃんも私と同じく地方出身ですが、

18才で進学の為に上京し、

学生時代は私と同じく高田馬場に住んでいたこと。


のぞみちゃんも子供がいる。


しかも…

のぞみちゃんの元ご主人と、私の夫も、

同い年、

同じ階級。



「私と状況が同じすぎて、

どうしても人ごとに思えません…。」



顔も知らない私のことを、本当に心配して支えてくれました。


苦しい話だけではなく、楽しい世間話もしました。



何も苦しいことがなかった、

勉強、恋、旅行、友達、アルバイト、

ひたすら楽しかった学生時代…


まさかこんなに苦しい結婚生活が待ってるなんて思わなかった学生時代…



「高田馬場のあのライブハウス知ってる!?」


「さかえ通りの居酒屋、懐かしいよね!」



「学生時代、

高田馬場できっと私たち、

すれ違っていたんだろうな…」



もし学生時代に高田馬場で知り合い、お友達になっていたとしても、


とても気が合う仲良しのお友達になっていたでしょう。



久しぶりに、昔の私…

楽しかった頃の私に戻れた気がして嬉しかったのです。



のぞみちゃんはすでに離婚をし、

全てを失い、

子供たちの五月人形と雛人形も、アメリカから持って帰れずに、


アメリカからスーツケース3つだけで、

小学生の子供2人と日本へ帰国し、

生活の再建の途中でした。



どうしても手放したくなかった、

子供たちの五月人形と雛人形。

アメリカから日本に持って帰るにはとても支払えないほど高額な輸送費でした。


のぞみちゃんのご両親は、

「もうそれはあきらめなさい。」

とおっしゃってくれたそうです。

ご両親が孫のために一生懸命買われたもの。

ご両親の辛さも想像を絶します。


のぞみちゃんの元ご主人は、

「僕が大事に持っておくよ」

と言ったそうですが、


薬物依存症のご主人は、おそらく即、二束三文で売り、それは薬代になるのでしょう。


大切な五月人形と雛人形が薬代になるのだけは阻止したかったのぞみちゃんは、残念ながらその価値のわからないアメリカの質屋で、やはり二束三文で売り、生活の再建費用にするしかなかったそうです。


ボロボロ泣いたそうです。


スーツケース3つだけで、

女性ひとりで

子供2人と生活の再建…。


アメリカから持って帰ってきたスーツケースの中身は、少しの洋服と、

どうしてもアメリカに置いていきたくなかった子供たちのオモチャだったといいます。


子供たちより、母親であるのぞみちゃんがその子供たちのオモチャやぬいぐるみを、アメリカに置いていけなかったそうです。



そんな生活の再建の途中に、

のぞみちゃんの苦しかった記憶と、

全く同じ道を辿る私の話を聞くのは

のぞみちゃんは辛かったのではないでしょうか…。

のぞみちゃんが味わった地獄のような思い出を、私を通して、のぞみちゃんは思い出すのではないでしょうか…。


しかしそれでも、のぞみちゃんは顔も知らない私をいつも心配し、話し相手になってくれました。



のぞみちゃんは、その名のごとく、

私の希望のような存在でした。


何度も繰り返した絶望、

夫が薬物依存症になる前には、「絶望」なんて感情がこの世にあるとは思ってもいませんでした。



高田馬場で私が住んでいた、神田川の面影橋の桜。

懐かしい。


高校卒業して、3月31日。

私はこの桜を見ました。



希望を持って上京したあの頃は、

私は元気で幸せで、そして無知で、


こんな苦しい30代が待ってるなんて思わなかったな。


今年は子供たちと、

学生時代に住んだあの街の桜を見に行こう。


友達に囲まれて、冗談が大好きで、いつも笑っていて、元気だった頃の私を

ゆっくり取り戻そう。