あの日の出来事を書く前に、

少し夫の話をします。




夫はとても優しくて仕事熱心、真面目な人でした。


結婚してちょうど1年後に子供も産まれ、良いパパでした。


良いパパというのは、


家族の為に一生懸命働き、

まっすぐお家に帰ってきて、

子供を抱っこしてくれたことでした。



私の夕飯の準備を手伝い、

「おいしかった、ありがとう」と言ってくれ、


夜泣きする子供に対し、

夫「ねえ、授乳できる?」(母乳育児)


私「疲れた…。」


夫「わかった。僕がミルクを作って飲ませるから、眠ってていいよ。」



夫は昼間の激務もこなし、ジムでトレーニングもしていました。

当時、私は育児休暇中でしたが、

夫は「家で、ひとりで子育てをする君の方が大変だ」と気遣ってくれました。



土日は旅行にも行きました。


あの頃は楽しかったです。 

お金の心配がなく、

子供の成長の為にしてあげたいことは何でもできると思っていました。


育児に必要な習い事を体験に行ったり、

知育おもちゃや絵本を買ってあげたり。


プールや動物園に連れて行ってあげたり。


家族で出かける時間が幸せでした。






当時、住んでいた日本のマンションは、在日米軍の方が沢山住んでいました。



日本に派遣された若い米軍人の息子に会いに、

初老のご両親が沢山、遊びに来ていました。



よくその方たちに幸せそうにエレベーターで声をかけられました。



「私たち、初めての海外旅行、初めての日本なの。

息子が日本に派遣されたから遊びに来ちゃった。」




「そうでしたか。

どこか観光は行かれましたか?」




「沢山行きたいわ。おすすめはある?」



いつも夫は優しく丁寧にその方たちと会話をしていました。


しかし後ほど、夫は

「あの瞬間が嫌で嫌で仕方がなかった」

と言いました。




「息子に会いに、喜んでアメリカから遊びにくる他人のご両親がうらやましかった。

うちの両親は、来ようともしなかったし、連絡すらしてこなかった。

僕たちの結婚式ですら、僕の両親は来ようともしなかった。」




そういう夫も、

両親に連絡はしていませんでした。


私たちの結婚式ですら、夫は父親に連絡をしなかったので、「父親は来ようともしなかった」は少し違います。


というより、夫の中で両親の記憶がほとんどなかったのです。



「僕の父の目はブルーで、母はヘーゼル。」



ずっと夫が言っていた自分の両親の目の色。


全く違っていました。


夫は色盲ではありません。



両親と幼少期に別れたわけでもなく、

18年間、高校を卒業して米軍に入隊するまで、


毎日、一緒に暮らしていた両親の目の色すら、

夫は覚えていなかったのです。