「地獄を見たければ、依存性者のいる家族を見よ。」
という言葉があります。
薬物依存症の夫との生活は地獄でした。
依存性という病気は悪魔でした。
38歳の優しくて真面目だったアメリカ人夫の薬物依存問題と、子供たちについて書いていきます。
私は沖縄出身、現在は会社員です。
逮捕、
子供の入院、
私の逮捕、
精神病棟、
ダルク、
リハビリ、
警察、
児童相談所、
…色々なことがありました。
何度も何度も「助けてほしい」と訴えた、
警察、
精神病院、
精神保健福祉センター、
ダルク、
保健師、
助けてもらえないどころか、
めちゃくちゃになりました。
私は
「警察官はこんなにひどいんだ。」
「精神科医は合法ドラッグ売人だ。」
「ダルクは信じられないことをした。」
と恨みつらみを書きたいわけではありません。
結局、薬物依存症は、
他人が治せないんです。
警察官も、精神科医も、ダルクも、精神保健福祉センターも、保健師も、
薬物依存症を治せないんです。
そして家族も薬物依存症を治せないんです。
そんな中、何度も何度も、
助けてくれた、
児童相談所、
ワンネス(薬物依存症のリハビリ施設)
ナラノン(家族の自助グループ)
NA(薬物依存症の本人の自助グループ)
子供の学校の養護教諭さんとスクールカウンセラーさん、
生活援護のケースワーカーさん、
子供の教育相談の先生、
お料理とお掃除のボランティアの方、
子供と遊びながら、寄り添ってくれる大学生のお姉さん、
保健所のアルコール依存性の家族教室、
(夫は薬物依存症ですが、アルコール依存性も全く同じ対応、勉強になります。)
何度も何度も
助けてくれました。
動けなくなった私の家に来てくれたりしました。
同じ苦しみを持つ方から、頂いた言葉。
「出口がないという感じですよね。
私もいっぱい泣きました。」
同じ苦しみを持つ方に、
同じ思いで記録を残していきます。
夫はなぜ、いつ、薬物依存になったのか。
なぜ。
いつ。
毎日、毎日、考えました。
なぜ…沢山、理由はあるようで、
結局、どれも理由ではない気もしますし、
逆に、全てが理由な気もします。
そして、いつから。
いつからか、
私はわかります。
あの日から。
あの日…
あの日の出来事を書く前に、
少し夫の話をします。