子宮頸癌と子宮体癌、再々発転移。 -3ページ目

子宮頸癌と子宮体癌、再々発転移。

『子宮頸部腺扁平上皮癌 2b期』
『子宮体癌 2b期』
2012年、同時に見つかった2つの子宮癌の再発転移闘病記。

2014年に骨盤内局所再発、多発肺転移、
2015年に骨盤内再々発

放射線、全身化学療法、動脈塞栓術、胸腔鏡手術、トモセラピー…
現在も闘っています。

※2015年10月の記録(記憶)です

元主治医(綾野剛似)とお別れし、2015年10月からNew主治医B先生と初対面。

うーん、、誰かに似てる気がするけど誰だろう、わからん~。
友達曰く、(あごが)野球選手のうっちーだそうです。←知らない

大好きな友達や入院友達の主治医でもあるので、噂は色々聞いていた。
とても優しい先生で、患者のどんな話でもちゃんと聞いてくれるから、診察の待ち時間がめちゃ長いとか。

初対面の印象。
なんかすごく低姿勢な感じの先生でした。
綾野GOは婦人科で一番優しいって聞いてたけど、うっちーもすごく優しそう。

先生、これからよろしくお願いします。


イリノテカン+ネダプラチンの5クール目、前主治医の綾野GOは自らルートを確保してくれてたけど、どうやらうっちーはしないらしく。

綾野GOに「B先生(うっちー)もルート取ってくれます?」と聞いたら、『うーん、、、しないかも。』と。

ダメ元でご本人に言ってみたら、『ごめんねぇ、、僕できないんだ。』

・・やっぱり。
まぁ入院友達からルート取るの苦手みたいって聞いてたからいいんですけどね。
出来ないのにやろうとして時間も削られるよりは最初に断ってくれて逆に高感度UP↑↑

そんなわけで、血管をめぐるおしゃべりタイム(違)がない分、早く化学療法室に行って何事も無く無事3回の治療が終わりました。


血液検査も問題なく、熱も出ず。
この頃は、あれだけひどかったカン吉(イリノテカン)の下痢もなぜか控えめ。
私のキョーレツな悪玉菌?が対抗してるのか、下痢Pにならないことも。
なるんだかならないんだかわからなくて薬も飲めないし、それはそれで大変。


そしてこの月、全身抗がん剤を終えた後、動脈塞栓術へ行くことになった。
私はまだ知らなかったけれど、JD先生が「そろそろ肺転移して1年になるし…」と次の手を考えていてくださったらしい。本当にあり難いことです。

一歩進むための動脈塞栓術。
5ヶ月ぶりの大阪。IGTクリニック。

この頃の私は謎のお尻の痛みで、実は歩くのがとても辛く、5分立っていると脂汗が出てくる状態。
(スーパーに買い物に行くのもしんどかったです)
腰でも足でも尾骨でもなく、お尻の穴のあたりだけがひたすら痛い。
ロキソニンからトラムセットにレベルアップした痛み止めも全く効きめがなく、座ったり寝転んでると平気なので、痛み止めを服用するより、すぐ座る(寝る)これでやりすごしていました。

なんでこんなに痛いのか原因がわからないため、前月(2015年9月)に初めての大腸の内視鏡もやった。(癒着があって痛かった…)
が、どこも異常なし、ポリープも痔もナシ。

うっちーからは「今は他の治療もあるし、原因がわからないから様子見しかない。」と言われていた。
画像や採血結果とかが問題なければ何も出来ない…、これって当たり前のことなんだけど、患者にしてみたら原因がわからないって言うのはとても不安です。
何かあれば、どうしたって病気(がん)とイコールで考えてしまうから。

動脈塞栓術の医院長先生は、そんな私の謎のお尻の痛みをとても気にかけてくださいます。
同年3月~5月まで通っていた時も、骨盤内の治療に行っているのに『お尻のところもやるからね。』と積極的に治療をしてくださり、診察のたびに『痛みはどうだった?今も痛い?』と気にかけてくださる。
『何とか痛みを取ってあげたい』っていう先生のカテーテル治療。
JD先生のご紹介だったとは言え、こういう先生にめぐりあえたことも患者にとってはとても幸せなことだと思います。

5ヶ月ぶりの医院長先生、相変わらずとても優しく温かく面白く。
このクリニックは看護師さんもスタッフの方もみんな本当に明るく優しくて、行くたびにほっとします。
お尻の痛みを堪えて行くには結構な距離なんですが、安心して治療が出来る大好きなクリニックです。


そして、10月の終わりにカテーテル治療を終え、自宅に帰ったその日の明け方。
同居している母親が脳出血で救急車で運ばれました。

治療の副作用がある私は動けず(薬の量は少ない動脈塞栓術ですが、私はけっこう吐き気で辛いんです、毎回)、救急車の同乗から入院手続きから毎日のお見舞いまで全て夫がしてくれた。
私が母に会えたのは3日後。

先生からの説明を受け、麻痺が残るかもしれない。左目は半分はもう見えていない(視野狭窄)。
目の前が真っ暗になりましたが、母本人が元気で明るいことだけが救いでした。

ICUの中でも「娘の治療があるから私はいつまでも入院してるわけにはいかない」と言い続けていたらしく、先生や看護師さんに「娘さんのためにも今はお母さんが元気にならないとダメでしょ」と怒られていたそうで。

私は母親になることは出来なかったから親の気持ちは想像でしかわからないけど、何かにつけて自分優先な自分を考えると、母親ってすごいなと思います。

そして子供の気持ち。
たとえ麻痺が残ったとしても、やっぱり生きていてほしい。
親戚がなく、父も祖父母も亡くなっているので、私の血縁関係は母と弟だけです。
もう少し3人でいたい。私も頑張るから、お母さんも頑張って。
そんな気持ちで過ごした11月。(10ヶ月治療を続けてきてちょうど治療がない月だったので、母の病院にもまめに通うことが出来ました)

母は1ヶ月で退院しました。リハビリも順調で、左目の視野狭窄だけで麻痺も残らず。
改めて母親の偉大さを思い知り、家族の大切さを身を持って感じた1ヶ月でした。


この病気になった人は皆考えたことがあると思う。
当たり前の日常は、当たり前なんかじゃないこと。
当たり前の日常がどれだけ大切で愛おしいものか。
当たり前に日々を過ごせることは奇跡です。
どの一瞬も大切な時間。
今日もまた無事に1日を終えられたことに、ありがとう。