子宮頸癌と子宮体癌、再々発転移。

子宮頸癌と子宮体癌、再々発転移。

『子宮頸部腺扁平上皮癌 2b期』
『子宮体癌 2b期』
2012年、同時に見つかった2つの子宮癌の再発転移闘病記。

2014年に骨盤内局所再発、多発肺転移、
2015年に骨盤内再々発

放射線、全身化学療法、動脈塞栓術、胸腔鏡手術、トモセラピー…
現在も闘っています。

2012年、子宮頸癌(線扁平上皮癌)2b期+子宮体癌2期で広汎子宮全摘をしました。
その後、骨盤内再発→多発肺転移→骨盤内再々発。

大まかな病歴・治療歴はこちらをご覧下さい。→『 ご挨拶&病歴


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※2016年1月の記録(記憶)です。

2016年1月。
腸閉塞で入院をした。その1週間後、私はとても大切な外来を控えていた。

2015年2月にわかった「骨盤内再々発」。
右骨盤壁に沿った閉鎖領域に再発した腫瘍。

2012年7月の初発での手術の1年半後…、術後6クールの抗がん剤(予防)をした1年後の、2014年1月に骨盤内に局所再発をした腫瘍。
その時は、放射線の治療をした。(骨盤全体48.6Gy/Fr27、腫瘍部10Gy/Fr5)

放射線治療をした1年後、2015年2月に同じ場所に再々発がわかった。
(同じ時期に肺への遠隔転移、多発転移もしていた)

それから1年。
全身抗がん剤、動脈塞栓術(動注カテーテル)での治療をしてきたが、なぜか全く小さくならない骨盤内の再々発腫瘍。
大きくもならないが、小さくもならない。
現状維持は癌治療では良しとされているらしいけど、小さくなるか、いなくなって欲しいのが本音。

元主治医(綾野剛似)は、骨盤内より遠隔転移をした肺を重要視していたが、JD先生は骨盤内を先にとの見立てだった。
(肺はそんなに悪さをするような場所ではないとのこと。)

1年頑張ってきたけど、目を見張る効果がない。
その代わりに、大きくもならないし増えてもいない。
だからそろそろ勝負に出ようと、色々と考えてくださっていた。

12月にJD先生の外来に行った時、『●病院の◎先生に手術をしてもらおう。外来の予約取って。今すぐに。』

おおおお。これが噂のJD先生のスピードかぁー!と体験できた事に感動すら覚え、その場で廊下へ出て電話をした。
先方病院からは「担当医に確認して折り返し電話をするから待ってて」との返事。

JD先生に「セカンドオピニオンでいいんですよね」と確認するも、『何言ってるの違うよー。手術できるか聞きに行くだけなんだから。』と。
先生のおっしゃる通り、外来の予約をしてもらえた。
(このブログのタイトルはわかりやすく「セカンドオピニオン」にしたけど、セカオピではありません)

私は不勉強で存知あげなかったけれど、この◎先生は腹腔鏡での手術をしてくださる、とてもとても有名な先生でした。
外来の予約が取れたことを現主治医うっちー先生に話したら、『りんさんすごいよ!◎先生に診てもらえるの? それはすごいことだよーー!』と私より興奮していた。

JD先生は私の骨盤内の治療には最初は重粒子線治療を考えてくださっていた。
でも私は先進医療の保険には入っていない。だから先生が手術という方法を見つけてくださった。
腹腔鏡なら体の負担も少ないということも考慮してくださった。
本当にありがたい。

どこぞで言われてる「高額医療だけを薦める」なんてデマもいいとこ!!
JD先生に直接診てもらったこともないくせに、何も知らないくせにいい加減なことばっかり書くなと、ほんと腹が立ちます。
その、嘘の情報のせいで、出来る治療があるのにあきらめてる人だっているかもしれない。(厳しい事を言うと、そういうネットでの無責任な情報を信じてしまうのもその人の運命なんだろうとは思っています)
たまたま私は「手術」という方法に辿り着けるような再発の仕方だっただけかもしれない。
でも、先進医療だけしかなかったとしても、選ぶのは自分。やりたくなければやらなければいいだけ。
頑張りたいのに、頑張れるのに治療がないと言われた人の気持ちがわかりますか? 想像してください。
そういうことなんです。


私だけだったら絶対に辿り着けなかった◎先生。

で、この大切な外来の1週間前に腸閉塞で入院(原因はお通じコントロールが出来てなかった。便秘ってやつです)
何やってんだ、私のバカタレ。治療中はとにかく体調を整えておくことが大切ってSmile Girlsで散々学んでたくせに。

腸閉塞は無事退院できたものの、東京には大寒波。
予約当日は大雪。電車は動かない。

本来なら1時間ちょっとで行ける病院に、朝の6時に出発し7時間かかって到着。(うち3時間は電車の中~)

この外来には、Smile Girlsの考香さん(菫さん)が同行してくれ、夫もついてきてくれた。(私が雪の中、都会に行くのが心配だったらしい)
考香さん、他にも予定があったのに私が大遅刻をしたせいで他の予定をキャンセルして付き合ってくださいました。
その節は本当にありがとうございました。


13時くらいに病院に着いたものの、とっくに予約の時間は過ぎていて(途中で連絡済)、待つ事さらに5時間。
最後の最後に待ち焦がれた◎先生の診察室に呼ばれた。


その時の私の状態は、(画像上)骨盤内に1箇所の再々発と、肺に3箇所の転移腫瘍があった。
◎先生はそれらを見た上でおっしゃった。

『この手術は日本では僕しか出来ない。僕が手術すれば再発はしない。』

本当にこう言い切りました。めちゃめちゃカッコイイ!(イケメンだったしw)
でも…

『でも病院の方針で他に転移がある場合は手術は出来ない。肺がなければ…』

えー。肺が邪魔なのかぁ。そうだよね、多発(遠隔)転移だから適応外ですよね、普通は。
でも、『せっかく来てくれたのだから力になってあげたい。』と仰ってくださり、病院にもかけ合ってくださった。


先進医療特約には入っていない。
出来たら保険適応の治療がしたい。
放射線の後に再発して、抗がん剤では効き目がなかった。
手術がしたい。
骨盤内の腫瘍を切り取って、先に進んで根治したい。
絶対に根治したい!!

祈るような気持ちで◎先生の返事を待った結果。


『やっぱり手術は出来ない。力になれなくてごめんなさい。』


初めて診察室で泣きました。
1年頑張って治療してきた。でも結果が出せなかった。そんな中でたった一筋見えていた光が、やっと見えた道が、全て閉ざされてしまった気がした。

私が泣いてしまったため、菫さんが◎先生と色々話をしてくれました。

「肺がなければ手術してもらえるんですか?」
「これがこうだったらどうですか?」
怒涛の質問攻め。

(ああ、これが【患者力】なんだな…)って、メソメソしながら思っていた。
1人だったら、打ちのめされてそのまま帰るしかなかった。
次のことまで考えられなかった。

~こういう【患者力】に付いても、Smile Girlsでは学ぶことが出来ます。
患者力は私たちを守る【心の盾】になります。
この病気と闘う上では絶対に持っていた方が良いです。
生きるために、時間を無駄にしないためにも。スピードは大切ですから。~


一番近くにいて学んできたくせに、全然患者力を身に付けていなかった私。
情けない事にメソメソ泣くことしか出来ませんでした。

菫さんの質問に◎先生はとても真摯に答えてくださった。
『肺がなければ手術出来る。』

泣きながら◎先生に言った。
「先生、私絶対にまた来ますから。肺をなくして出直します。また先生に会いに来ますから。」

◎先生は、『待ってます。』と仰ってくださった。

診察室を出て落ち込む私に、菫さんは言った。

「上(肺)がなければ出来るんだし。ここがダメなら次いこう!次!!」

嬉しかった。頼もしかった。
1人だったら受け止め切れなかった。泣きながらあっさり帰るしか出来なかった。
それだけ私は今まで(色んな意味で)恵まれてたんだと実感した。

バッサリ断られて、やっと一人前の再発転移患者になった感じ?(違)

菫さんがJD先生にも報告してくれ、先生も菫さんと同じ事を仰っていたそうだ。
私にはこんなに心強い人たちがついてくれている。
大丈夫だと思えた。まだ行ける。


すっかり雪もやんだ帰りの電車。
出発を待っている時、菫さんがちょっと席を外したら目の前に座っていた夫がいきなり泣きだした。
号泣。嗚咽。

「どうしたの?大丈夫? 私は大丈夫だから。まだこれからだから。頑張るから大丈夫だよ。」
びっくりして私が必死でなぐさめた。逆じゃん?

夫は今まで診察室に入ったことはなかった。
ついてきてもらっても、私はいつも1人で診察室に入っていた。
再々発の告知も、遠隔転移の告知もいつも1人。
だから夫にとって初めての体験だった。
初めての経験が、玉砕だからショックだったみたい。

帰りに途中下車して、3人で中華料理を食べて帰った。
おかゆしか食べられない私に、容赦ない2人(笑)
でもそれもとても楽しく良い思い出です。
泣いた後なのに、笑っていられる幸せ。
ちょっとだけもらった、たくあんの卵焼き、おいしかったなぁ。


こうして、骨盤内の腹腔鏡手術は撃沈した。
でもJD先生と菫さんは既に次の手を考えてくださっていた。
この話は次に。