ここのところ、ブログの更新をさぼっておりまして、書きたいことは、山ほどありますが、かいつまんで、お届けしたいと思います。


 先日は、実家に出向きまして、母と温泉に行きました。

 母は、家から1時間と少しのところで、一人、暮らしているのですが、日々の忙しさの中、近いようでなかなか帰れないでいますので、時々ふと、時間が空いたときに帰ると、喜んでくれます。


 空は、雲一つなく、いい天気で、絶好のドライブ日和。遠賀川沿いの道を私の軽自動車で、走り抜けます。河川敷は、春満開。どこもかしこもきいろ、きいろ、きいろの菜の花でいっぱいで、自然と顔もほころびます。実家に帰る時は、こうした景色を楽しみたくて、高速道路でなく、できるだけ下の田舎道を通るようにしています。

 


先週は、3月10日が、東京大空襲から70年、3月11日は、東日本大震災から4年ということで、新聞やテレビの報道が相次ぎました。時差こそありますが、日本にとって、これほどの災難が、3月10日、11日と、続けて起きていることを改めて思い知らされました。東京大空襲の焼野原の東京の写真と、東日本大震災のがれきの山の写真が、違うんだけど似ていると感じました。でも、確実に違うのは、東日本大震災が自然災害であるのに対し、東京大空襲は、人災、というより、一夜で10万人もの命を奪った、広島、長崎の原爆投下と並ぶ、大虐殺であると言うことです。

 なぜ、このような残酷なことができるのか?人には良心というものがありますので、直接手を下すとなると、躊躇し、精神的負担も大きいですが、爆弾を投下するとなると、被害の対象者を見なくて済みますので、大量虐殺をなしえるのだと思います。

 中国が主張する、南京大虐殺ですが、30万人が日本軍によって殺されたなどというでたらめは、物理的に無理な話だと思います。30万人もいない南京で、皆殺しにしても足りないですし、当時、南京入りした世界各国の新聞記者は、誰一人、南京大虐殺のことを報道していません。これだけの大虐殺が、狭い南京城の中で、本当にあったとしたら、30万人の遺体があふれ、その処理が行われていたのなら、隠し通せるなど不可能なことです。南京事件と言われるようなことは、あったかもしれませんが、南京大虐殺など、ありえないのではないでしょうか。戦闘行為は別として、30万人の大虐殺を人の手で行うなど、日本人には、恐れ多くて出来ない行為ではないでしょうか。


 話は戻りますが、3月10日、11日という日は、何事もなければ、菜の花が咲き、春の訪れが感じられる季節です。そんな季節に起こった二つの大災難を思うと、言葉もありません。ただ、日本人として、決して忘れてはならないことだと思います。