昨日は、北九州立文学館で開催されている、赤毛のアン展に行ってきました。
今、NHKで放映中の「花子とアン」も楽しみに視聴していますし、なにより、「赤毛のアン」ファンの私としましては、見逃せないイベントです。
物語や作者モンゴメリーについては、よく存じていますが、やはり、今回注目したのは、翻訳者の村岡花子さんの生涯です。
子供の頃親しんだ若草物語、小公女、フランダースの犬等、多くの児童文学の翻訳は、村岡花子さんによるもので、「村岡花子」というのは、見覚えのある名前でした。ですが、その生涯となると、よく知らずにいました。
甲府の貧しい農家の8人兄弟の長女に生まれた花子は、その利発さから、父親の期待を受け、10才で、カナダ系のミッションスクール、東洋英和女学校に給費生として、編入学します。在学中、猛勉強により、後に、数々の海外の児童文学を翻訳することになる英語力を身に付けます。
また、赤毛のアンを翻訳するにあたり、女学校時代、作者モンゴメリーと同じ世代のカナダ人の婦人宣教師と過ごした経験が、アンの日常を生き生きと描くことに繋がったのだそうですよ。
山梨で 教師を経て、上京し、出版社に勤務し、村岡敬三と知り合い、不倫の末結婚します。関東大震災、息子の死、大東亜戦争の後、赤毛のアンが出版されます。その後も、児童文学界に多大な貢献をし、1968年に、75歳で脳血栓でなくなります。
また、村岡花子さんの親友の柳原あき子(白蓮)の生涯も波乱万丈で、凄いんですが、先日の記事で少し触れました。
まあ、ざっと、このようなことが、展示会で説明されていました。


展示会入り口付近
ドラマの方も佳境に入ってきて、花子は、村岡と結婚することになり、もうすぐ、もう一つの不倫物語、白蓮事件も起こります。
アンの清らかな物語も好きですが、こうした、現実の女性の心情に迫り来る生々しい物語もありだなと思うのは、赤毛のアンを初めて読んだ頃より、ずいぶんと年を重ねたからでしょうか?
今、NHKで放映中の「花子とアン」も楽しみに視聴していますし、なにより、「赤毛のアン」ファンの私としましては、見逃せないイベントです。
物語や作者モンゴメリーについては、よく存じていますが、やはり、今回注目したのは、翻訳者の村岡花子さんの生涯です。
子供の頃親しんだ若草物語、小公女、フランダースの犬等、多くの児童文学の翻訳は、村岡花子さんによるもので、「村岡花子」というのは、見覚えのある名前でした。ですが、その生涯となると、よく知らずにいました。
甲府の貧しい農家の8人兄弟の長女に生まれた花子は、その利発さから、父親の期待を受け、10才で、カナダ系のミッションスクール、東洋英和女学校に給費生として、編入学します。在学中、猛勉強により、後に、数々の海外の児童文学を翻訳することになる英語力を身に付けます。
また、赤毛のアンを翻訳するにあたり、女学校時代、作者モンゴメリーと同じ世代のカナダ人の婦人宣教師と過ごした経験が、アンの日常を生き生きと描くことに繋がったのだそうですよ。
山梨で 教師を経て、上京し、出版社に勤務し、村岡敬三と知り合い、不倫の末結婚します。関東大震災、息子の死、大東亜戦争の後、赤毛のアンが出版されます。その後も、児童文学界に多大な貢献をし、1968年に、75歳で脳血栓でなくなります。
また、村岡花子さんの親友の柳原あき子(白蓮)の生涯も波乱万丈で、凄いんですが、先日の記事で少し触れました。
まあ、ざっと、このようなことが、展示会で説明されていました。


展示会入り口付近
ドラマの方も佳境に入ってきて、花子は、村岡と結婚することになり、もうすぐ、もう一つの不倫物語、白蓮事件も起こります。
アンの清らかな物語も好きですが、こうした、現実の女性の心情に迫り来る生々しい物語もありだなと思うのは、赤毛のアンを初めて読んだ頃より、ずいぶんと年を重ねたからでしょうか?