はまらなくてはまらなくて

 

車輪が動き出さなかったものが

 

人生ではいくつもあった

 

自分の在り様だったり

 

やりたいことだったり

 

行きたいところだったり

 

人間関係だったり

 

両親との関りのなかで産まれるいろいろだったり

 

仕事やお金との関りだったり

 

セックスや、恋愛だったり

 

 

 

 

 

 

はまらない感覚すら見逃してきたし

 

意図的に見逃してきた

 

観たくないっていう設定を無意識にがっつりくっつけたからね

 

 

でねー昨日

 

数年動かなかった車輪が

 

いきなり「がちんっ」って音を立ててはまってさ

 

 

 

動き出した

 

 

 

 

いつもイメージはしていたんだよ

 

動き出すことをね

 

動き出した先も幸福感と高揚感と

 

一体感とあらゆる幸福体験をイメージしながらさ

 

 

 

数年、毎日毎日、忘れる日もあったけど

 

ほぼ毎日

 

 

動かしたいものがあるのに、動かせない

 

 

動かない

 

 

 

このぼんやりした痛みにうつうつしそうになっていた

 

自分をこの無能!ってなじりたくなる自分がいる

 

 

 

 

 

でも、努力したのはここ

 

 

 

うつうつしそうになる自分のかけらを

 

今観しつづけた

 

 

 

うつうつっていう感覚を観る時なんだと感じていた

 

 

 

目的は車輪を動かすことだし

 

車輪が動いた先の出来事や自分

 

 

 

 

でも、動かない理由は

 

このうつうつしそうになるっていう

 

この音を聴いた先にはまるピースがあるんだって

 

私は今観をしてて知ってるからさ

 

 

 

 

はまらないのに無理やりはめることもできたし

 

はまってないのに、はまったって思い込むこもできた

 

はまっていないところを隠すこともできた

 

 

 

 

 

でも、私は、自分の感覚しかみていないから

 

それに本気だし、全身全霊だからさ

 

 

わかっちゃうんだよ

 

はまってるか、はまっていないかが

 

 

 

 

そんでいつもこれだけは思ってた

 

「絶対にはまるときがくる」って。

 

 

 

 

 

その作成に向き合うと

 

本当に車輪が動かないっていう感覚になって

 

自分のアイディアに限界がきたのかもしれんと思って

 

うまくいってそうな誰かのノウハウを見に行ったりして

 

 

ちょっと真似してみようかってやってみたり

 

人から受け入れられる方法を探しに飛び出してみたり

 

 

 

そんではっと気が付いて

 

 

また、自分に戻るの繰り返し

 

私は、なにを探してるんだ?って。

 

はまるものを探してるんだろ?って。

 

 

 

 

 

それは、私のなかにしかないのに。

 

 

 

 

 

 

 

はまらないっていう感覚を、しっかり観きれって。

 

 

観きってちょーだいって。

 

 

 

 

 

 

 

そうして数年、ようやくはまった。

 

 

 

 

やっぱり、創造していた通り

 

1歩進んだら立ち止まって、重たい足をひきずって

 

気が付いたらまた2歩下がってて

 

その繰り返しだったのが

 

 

 

はまった途端

 

自動運転がはじまったかのようだったよ

 

歩いる、走ってる感覚よりも

 

進んでいる心地よさ、気持ちよさ

 

 

 

 

着地点と繋がっている「今」

 

「今」そのものが着地点のような快感

 

 

 

 

もうこうなってくるとさ

 

着地していようが

 

どうでもいいのね

 

もう、気持ちいいから

 

 

 

 

 

きっとね、この体験ってみんなが絶対にできるものなんだ

 

 

 

 

 

少しコツがあるから

 

その少しが解ってしまえば一生応用していけばいい。

 

 

 

 

 

 

 

お金だって、仕事だって、恋愛だって

 

 

なんだってそう

 

 

 

 

あなたの車輪が回っているか

 

あなたがその感覚を掴むのがめちゃ大事ね☺