先月、娘の友達のお父さんの

お通夜に行った後喪服を直すとき

はっきりと感じたわけではないけど

なんだかまた着ることになりそうな予感?

が一瞬よぎったことをそうなって思い出した

 

 

今度は次男の友達…

またバイク事故

17歳

 

 

次男は別れた元旦那のもとに居るので

わたしは一度もその子と

面識があったわけではないけれど

「俺ひとりじゃわからんけん」

という次男と共にお通夜へ

 

 

悲しすぎる

 

かなしくてかなしくてかなしくて…

胸が痛くて、切なくて…

 

 

地元では結構有名な高校生だったらしく

(SNSやティックトックで)

うちみたいなやんちゃな子たち

普通の子、真面目そうな子、

オタクっぽい子、女の子も男の子も

たくさんの友達が別れにきているのを見て

誰とでも分け隔てなく接することができる、

人柄の良いお子さんだったんだろうなあ

と感じた

 

 

 

 

帰りに事故現場に献花に行くと

ちょうど現場に居合わせたという

近所のおばちゃんがいらっしゃって

その時の状況を聞かせてくれた

 

何で一時停止しなかったんだろう

と誰しもが思う場所

 

それを見ると、

あー生まれる前から決めてきていた

運命だったんだろうなと

妙に納得するものはあったんだけど、

運命であったとしても

なんてやるせないんだろう

 

どんなにスピリチュアルの視点を持っていても

死に対しての瞬発的な感情には

何の役にも立たない

 

 

 

翌日、温かい朝だったため

車の窓を開けて風を感じながら

通勤していると、

”その子も当たり前に来ると思っていた

朝なんだろうな”と

また悲しくて、


で、その当たり前が尊くて


そこに生かされていることがありがたくて


そこにもういない彼の思いがまた悲しくて


泣きながら出勤

 

 

今回は感情移入しすぎてしまっている…


 

でもこの感情を感じるのも

生きている証

 


苦しみや悲しみも

渦中にいるときはもがいているんだけど

それを俯瞰してみている自分(?)

もいつもいる


 

それを楽しんで、というと語弊を受けるが、

味わっている自分も感じる

 


タイムリミットのつけられた

幻想の中のこの命

先に亡くなられた方々の生きた証を少しでも

自分の中のエッセンスとして取り入れ、

引き継いで

自分なりの形で伝えていけたらなと思う

 

 

 

S君、おつかれさまでした。

次男坊と仲良くしてくれてありがとうね。

自分の死を納得して穏やかに

光の下へ帰られるよう祈っています

ゆっくり休んでください